特集2022.01.19

【陸上物語FILE1 佐藤友佳選手】美しすぎる投てき選手の素顔

アスリートの生き様を尋ねて全国を回る「陸上物語」。
初回のゲストは「美しすぎる投てき選手」の異名を持つ「やり投」の佐藤友佳(さとう・ゆか)選手29歳です。2020年に行われた日本選手権で初優勝。東京オリンピックの代表争いに最後まで食い込んだトップアスリートです。華々しい経歴を持つ佐藤選手ですが、これまでの陸上人生、決して順風満帆なものではありませんでした。どんな逆境にも諦めずに咲く、美しさと強さを持つ佐藤選手の「陸上物語」。庄野数馬アナウンサーが伺いました!

陸上を始めたきっかけ

ーー庄野:佐藤選手が陸上を始めたのはいつですか?
佐藤:中学1年生の時です。

ーー庄野:小学生の頃は?
佐藤:何もしていなかったですね、スポーツは。
書道を習っていました。幼稚園から中学校3年生までずっと。それ以外はスポーツはしていないんですけれど、外で遊ぶのは大好きでした。

ーー庄野:広島県福山市で!
佐藤:のひのびと!

ーー庄野:運動会とかは得意な方でしたか?走る方!
佐藤:うーん。1番にはなれなかったなって感じです。
いつも、2番手3番手。どうやろ、、、。めちゃくちゃ運動神経が良いって訳でも無かったです。

ーー庄野:そんな佐藤少女が、どうして中学から陸上を?
佐藤:たまたま知り合いが陸上部に入って、私はあまり。部活で運動をするというのが考えられなくて。「書道」をずっと習っていたんで。「どうしようかな?」と体験に行ったら、「まあ、楽しいな」と思って。

ーー庄野:陸上部っていっても、最初は何からはじめた?

佐藤:最初は「四種競技」といって「走る」「跳ぶ」「投げる」の。シニアは七種、八種ってあるんですけど、
四種競技=中学生バージョンの
「200メートル」、「ハードル」、「走り高跳び」、「砲丸投げ」の、四種目の得点を競う競技から始まりました。

ーー庄野:中でも得意だった種目は何だったんですか?
佐藤:走り高跳びでした。

ーー庄野:高跳び??砲丸投げではなく?
佐藤:中学校2年生で1m54cm跳んで、
全日本中学校陸上競技選手権大会〝全中〟と言うんですけれど、全中の標準まであと3cm足りなくて。
ギリギリ届かなくて、すごく悔しい思いをしたので、
中学校2年生の時に「もっと強くなりたい」と思いました。

ーー庄野:1回、目指すところが見えたから、これを掴むまでは辞められないぞと。
佐藤:はい。

ーー庄野:座っていらっしゃると分かりませんが、佐藤選手は小柄な方ですよね。
佐藤:そうですね、やり投げ選手としては小柄な方ですね。
世界的に見て。

ーー庄野:中学生の時は身長何センチでしたか?
佐藤:160cmぐらいありました。
中学校3年生で身長が止まってしまって。

ーー庄野:その当時はタッパも活かして
佐藤:そうですね!

広島から大阪へ下宿生活

ーー庄野:跳躍競技をやっている中で、大阪の高校に進学することになって、これはオファーがあったんですか?
佐藤:そうですね。東大阪敬愛高等学校の顧問の柿内先生からオファーを頂いて、大阪で1人下宿生活をしていました。

ーー庄野:親元を離れて寂しい思いはありましたか?
佐藤:ありました。みんなが、お母さんが作ったお弁当を持ってくるんですよ。自分は自分で冷凍食品を詰めたお弁当。そういう時に「家族がある家庭って良いな」って思ってしまった。でもその中で、鍛えられたというのもあります。

ーー庄野:自分のことを自分で管理するということですか?
佐藤:そうですね。その時期から「食」に対することなど、自分で気を遣えるようになれたし、今思えば、その寂しい期間が自分を成長させてくれた。

ーー庄野:人生の半分くらいを大阪で過ごすことになっているんですかね?関西の暮らしはどうですか?
佐藤:楽しいですね!みんな友達やないですか関西人!(笑)

ーー庄野:(笑)距離が近いの、良いも悪いも!大丈夫ですか?!広島県福山市から来て、戸惑いはなかったですか?
佐藤:ないです!私、田舎出身なんで、誰にでも挨拶をする癖があったんですよ!通学中にいろんなおじさんに挨拶をして歩いていたんですよ。

ーー庄野:こんな可愛い子からね!
佐藤:高校1年生の時に、ある日おじさんが「ジュース買ったろか?」って。

ーー庄野:怖い怖い怖い怖い怖い!
佐藤:今思えば、怖いですよね?
毎朝挨拶するからか、顔見知りになっていて、
「ジュース買ったろか?」言うてくれて、そのおじさんが会う度にジュースを買ってくれるようになって

ーー庄野:ジュースおじさんや!
佐藤:ジュースおじさん(笑)そのおじさんと仲良くなったりとか。でも途中で気がついたんですよ。あれ、これ大阪で色んな人に挨拶をしていたら、キリがないな(笑)

ーー庄野:あはは(笑)まあね、そうかもしれない。
佐藤:今思えば高校1年生の子が色んな人におじさんとかおばさんとかに挨拶をして歩いているの、ちょっと怖いですよね。

ーー庄野:でもそう思えばそうだし、仰ったように、1人で大阪に来て寂しい思いをしていた心の隙間を埋めてくれたのは近所の人たちだったかもしれませんね。
佐藤:そうかもしれません。

ーー庄野:今でも、絶対、そういう人たちは、佐藤選手のことを応援されていると思うので!
佐藤:覚えてくださっていると嬉しいです!

ーー庄野:コメントをお待ちしております!

やり投げ選手としての軌跡

ーー庄野:そんな周りの人たちに包まれて、高校時代は最初に取り組んだ種目は?
佐藤:7種競技を始めるといって、東大阪敬愛高等学校に行かせてもらったんですけれど、途中から投てきの3種目「円盤、砲丸、やり」の、3種目にら切り替えて、
高校2年生、3年生からは「やり投げ」にメインを置いて、ちょっとずつ絞っていきました。
基本的には、高校3年間は3種目をやっていました。

ーー庄野:最初、陸上部に入って、幾つかの種目をバランス良くやっている中で、私は投てきだと。その投てきをやっている中で、私は「やり投げ」だと。なんで「やり投げ」だったんですか?

佐藤:自分で決めた訳ではなくて、顧問の先生から「やり投げ」を勧められたのがきっかけで。でも最初の1年はすっごく嫌で。肘が痛くなるし、見た目以上に難しいし、上手くいかない時期がずっとあったんで、本当に辞めたくて。痛みが引き出して2年生くらいからちょっとずつ記録が伸びまだしたんですね。そこから少しずつ楽しい!という感覚になってきたんです。「あ!こうすれば良いんだ」「ああすれば良いんだ!」ていうのを色々と発見し始めて、その辺からですね、やり投げが楽しい!と思えるようになったのは。

ーー庄野:それで、イタリアでしたっけ?ジュニアの大会。

佐藤:そうですね、世界ユース陸上競技選手権大会(2009)。目指していたというよりは、楽しんでいるうちに、記録が伸びていって、たまたま選んでもらえて、たまたま出られたので。「世界ユースに出たいから頑張る!」という気持ちで練習をしていた訳ではなくて、その当時は。

ーー庄野:言うまでもなく非凡な才能の持ち主だと思うんですけれど、自己分析をされるに、どうして佐藤選手はそんなにあの「やり」を遠くに投げられるんですか?

佐藤:「積み重ね」じゃないですかね。やっぱりコツコツの積み重ねがないと、いきなりやって出来る種目じゃないんですよ。意外と難しくて、奥が深くて。棒状のものを投げるというのは、なかなか日常生活でないので、本当に思っているより難しくて。野球選手が、肩の強い選手が、元々野球をやっていた選手がやりを投げたら、やりが斜めになって頭を打つんです。それを見るのが、めっちゃ楽しい(笑)

ーー庄野:ざまぁ見ろよ!舐めんじゃねぇぞ!と!

佐藤:あははは(笑)

ーー庄野:それの逆バージョンをやったのが「トクサンTV」(人気野球YouTube番組)だったんですよ!
関連動画:【検証】やり投げ五輪候補が全力で遠投した結果…(トクサンTV)
https://youtu.be/MDr_0waffgk
佐藤:そうです!

ーー庄野:そしたら、見事に投げたんですよ!バックスクリーン手前まで!

ーー庄野:ただ、順風満帆な訳ではなく、大学に行ってその先、どこか(企業)に所属するのか?どこかにスポンサーについてもらうのかと思いきや、学校の先生?

佐藤:そうです。2年間小学校で働きながら、競技をやっていました。大学2年生の時に、肘をまた怪我してしまって、そこから全然記録が伸びなくて。
記録が伸びない=就職先もない。競技を続ける場所がない。ということで、小学校でスクールサポーターとして働かせてもらいながら、家に帰ってから練習をするという生活を2年間しました。

ーー庄野:当然、競技1本で出来たら、それに越したことはないですよね?
佐藤:そうですね。私もその当時は、働きながら競技をやるのはしんどいなと思っていましたし、自分が働いたお給料から地方に遠征に行ったり、お休みをもらって試合だけ行ったり、行って帰るだけでもお金がかかるし。エントリーするだけでもお金がかかるし。苦しい生活やったんですけれど。今思えば、あの時間があったから、今があるのかな?って思えるし、当時見ていた子どもたちが、すごいエネルギーで、小学生の成長ってすごいんですよ!本当に。昨日出来なかったことが今日できるようになったとか、チャレンジ精神もすごくて。子どもたちからチャレンジ精神を教わったというか、エネルギーをもらったというか。私も成長していかないと、今と同じ状況を続けても、自分は成長しないなと。子どもたちを見ていて思うことが多くて。そういう仕事に自分が育てられたのかなと思います。

ーー庄野:敢えていやらしい質問をさせてもらうんですけれど、同じやり投げの選手でもスズキ浜松アスリートクラブに在籍したりミズノに在籍したりする仲間もいる中で、羨ましいなとは思わなかったですか?
佐藤:思いましたね。(その人たちは)アスリートとして仕事をしているんで。私は教員として仕事をしながら傍ら(競技を)やっているんで。趣味なんですよ。趣味で陸上をやっていただけなので、当時はずっと「なにくそ!」と、思いながら。

ーー庄野:けれど、その練習に時間を十分に費やせない訳じゃないですか。そのもどかしさって。
佐藤:そうですね。だから、仕事で疲れた時は(練習を)休んでいました。

ーー庄野:ただ、どんな場所でも得られるものがあるという、マインドチェンジが素晴らしいです!
佐藤:やっぱり、その経験があったから、今の自分がある。
もし大学から就職が出来て、甘々の状態で(競技を)やっていたら、今の自分はなかったと思うし。「成長したい」と、思えなかったかもしれないし。その時期があったから、今の私があると思っています。

質問コーナー

ーー庄野:さて、佐藤さんこれ、縁起の良いゴールデンボックス。3つ引いて頂いて、ご自身で選んだものに、お答えください!

Q.1競技以外でやりたい夢がある?


佐藤:家族を作ることですかね!将来、結婚をして、子どもが出来て、その子にはやり投げはやらせないです!(笑)

ーー庄野:何でですか?
佐藤:自分がよく知っているから、言っちゃいそうじゃないですか。分かりますか?共感してもらえますか?

ーー庄野:知っているからこそですよね。そのお相手はいるんですか?
佐藤:いや、いないんですけれど、誰か。募集しています。(笑)

ーー庄野:いいんですか?集まりますよ?
佐藤:お願いします!(笑)将来家族を作るのが夢なので!

ーー庄野:それまあ(競技と)並行してやっていただいて。オリンピックとは別にね!では、もう1つ!
佐藤:はい。(紙を開いて) 

Q2.パートナーのことが大好きだ?

佐藤:え、ちょっと待って?今さっき、(彼氏)がいないって言いました。(くじ運)すごくないですか?

ーー庄野:ノーカウントです!
佐藤:こういう質問ばっかりですか?!

ーー庄野:違います!!(笑)

(もう一度気を取り直して)

Q2.数学が得意である?

ーー庄野:急にね。
佐藤:急に。(笑)
得意、ではないです。高校の教科だったら、国語よりは好きでしたね。

ーー庄野:文系か理系かで言うと?
佐藤:理系ですね。どっちかと言うとね。

ーー庄野:やり投げなんてもろにね、物理の世界な気がしますけれど。
佐藤:そうですね。その辺を分かっていないと。「力を出す」って、そう言うことですもんね。

ーー庄野:もっと良い質問もあるんですけれど、最後の質問にかけてみましょう!

Q3.他のスポーツに興味がある?

佐藤:野球をやってみたいです!なんかでも、難しいですよね、野球は力では解決出来ないんで。

ーー庄野:投げる方の話もしましたけれど「打つ方」もYouTube番組に出られていて!
  
関連動画:【やり投げ 佐藤友佳選手】打球スピード何キロ?豪快バッティング!【ディーン元気選手&佐藤友佳選手と合同トレーニング会】(NEOROOM 〜野球アカデミーNEOLAB公式チャンネル〜)https://youtu.be/q6Pa8OO0ZFA

佐藤:そうなんですけれど、当たれば飛ぶみたいな感じなんで、そんな、ボールに(バットを)当てる能力もないし、力があるから、遠くに投げる力もあるんですけれど、(やり投げ)では、的に当てる練習はしていないんで。なので、良いところに投げられないですね。

ーー庄野:それこそ、中学高校と野球をやっていたら、ソフトボールをやっていたら、そっちの世界でも
佐藤:違った人生でしたね。

ニコニコのり株式会社との出会い

ーー庄野:大学時代に肘の故障がなかったらもしかしたら、違った道があったかもしれないけれど「今の自分」を受け入れる中で、競技に専念する環境を作ってくれたのが、「ニコニコのり」さんですか?これはどう言った出会いだったんですか?
佐藤:社会人3年目で、幼稚園で働かせてもらっていたんですけれど、その時に仕事を続けながら陸上を続けるのが厳しいところもあって。JOCの「アスナビ」を使わせてもらって。

ーー庄野:そうしたら、「ニコニコのり」さんが、佐藤選手を応援したいと。せっかくなので「ニコニコのり」さんが、どんな会社か、PRしていただけますか?海苔の会社ですよね?
佐藤:うちの会社はみんなニコニコしていて、楽しい会社です!

ーー庄野:詳しくはホームページをご覧ください!
http://www.niconico-nori.co.jp/

佐藤:私、「おにぎらず」を作るのにハマっていて、「おにぎらず」! 握らないんですよ!
包むと言うか。おにぎらずを作るのにハマっていて、色んな具材を入れられて、卵とかお肉とかを入れると、すごく美味しくて!そちらも、ぜひ、チェックをお願いします!

2020年日本選手権初優勝

ーー庄野:競技を頑張らなきゃ!というところだと思うんですけれど、バックアップもあってか、2020年には、日本選手権、初優勝!当時を振り返ってどうですか?


佐藤:実感は後からきましたね。その優勝した実感は。
ほんまに、その時は実感はなかったです。

ーー庄野:これは多くの人に勇気を与えたと思うんですよ!
佐藤:ありがとうございます。

ーー庄野:大学を卒業して、アスリート1本でやる環境がなかった。そこ(職場の学校)で子どもたちに勇気をもらった。そして、大きくなって。
佐藤:色んな意味で。

ーー庄野:その時の感謝の気持ちって、まず、誰に伝えられましたか?
佐藤:そうですね。誰に伝えたかな、、、?
多分、1番最初に連絡をしたのは、コーチです。
フィンランドにいらっしゃるPetteri(ペッテリ)コーチに、日本選手権、勝ったよ!!と、報告したり
会社の応援して下さった皆さんに報告したり。

家族とか。ずっと応援してくれている高校生の同級生とか。友達から。お祝いの連絡がいっぱい来ていたので、「ありがとう」と。

ーー庄野:高校の時に、ジュニアで世界の舞台を見て、「そこに向かって」という思いはあったと思いますが。
佐藤:そうですね。オリンピックに出るための準備が出来たんじゃないかとその時は(日本選手権で優勝した時)思いましたね。

癒えない傷

ーー庄野:前年、世界選手権(2019)出場されて、日本選手権(2020)を獲られて、次の今年(2021)の日本選手権では惜しくも。
佐藤:そうですね。肘が痛くて。怪我をしてしまって。
4月の織田記念国際(優勝)では調子が良かったんです。けれど、調子が良かったばっかりに、自分の体が無理をしてしまっていて、それで肘を痛めてしまって。今もなんですけれど、まだ立ち直っていないんですよ。取り敢えずは、2024年に行われるパリオリンピックに向けて、「まだ競技を続けたい」という気持ちはあるので。

ーー庄野:オリンピック参加標準記録の64mも見えてきていた?
佐藤:はい!そうですね。完全に視野に入れて試合に出ていたんですけれど、なかなか、上手くいかないものですね。

涙のオリンピック代表落ち

ーー庄野:掘っちゃうような質問で、大変恐縮なんですが。
今年(2021)の日本選手権を獲った北口榛花選手。
前年(2020)は、佐藤選手が北口選手を2cm上回り優勝したんですよね。その年だったら(オリンピックに)私が行くぞ!というところを、北口選手が(東京オリンピック)に出場されて、地元でのオリンピックに出場されている姿って見ましたか?

佐藤:見ました!しっかりと応援をさせてもらいました。
やっぱり悔しいですけれど、、、やっぱり見ちゃいました。自分が出られなかった分、頑張って欲しいと思いましたし。

ーー庄野:でも他の人たちが見るのとは全く違う感情が佐藤選手にはあったと思うんです。
佐藤:でも万全じゃなくて、どこも怪我をしていなくて出られなかった訳ではなくて。怪我をして、自分の体が上手くいかない。上手く動かない状態で見たオリンピックだったからなのか。諦めがついて。見ることが出来ました。自分が今出ても、投げられなかっただろうな。と思います。

フィンランドでの合宿

ーー庄野:先程フィンランドのコーチの話もありましたけれど、フィンランドに遠征して、身体を変えようと?
佐藤:日本でずっと練習をしていて、このままじゃ、何も変わらないなと思って。それこそ「チャレンジ精神」じゃないですけれど「何か自分で動き出さなきゃ」と思って、1人でフィンランドに行くことに決めて、そこで2週間ちょっと合宿をさせてもらって。帰国して大ベストが出て。7年間ベストが出ていなかったんですけれど。

ーー庄野:本当に成果がまた出て!
佐藤:そうですね。そこでドン!と、出て。自分で動いて良かったな。と思えて。凄い怖かったんですよ。1人で海外に行き、1人で動くというのが。勇気を出して、一歩、踏み出して良かった。

右肘痛との戦い

ーー庄野:帰国して7年ぶりにベスト更新。
そうしたら右肘、、、
佐藤:そうです。今年ですね。

ーー庄野:具体的にどういう故障でしょうか?
佐藤:内側靭帯の損傷になるんですけれど、普通の生活をしていたら痛めることがないところです。

ーー庄野:治療には方法があるのですか?
佐藤:本当に色々試して、PRP(多血小板血しょう)注射ってあるんですけれど、1回痛みを増幅させて、それを自然治癒で治すっていう注射。それを日本選手権の前に、「何かしなきゃ」「今何か動き出さなきゃ」
って思って打ったんですけれど、もう本当に痛くて。PRP注射を打った日、雨が降っていたんですよ。注射を打って、傘をさして、傘を持つのも痛いから左手でさして。電車に乗る時に、傘を巻くんですけれど、右手でホールドしておかないと、傘を巻けないんですよ。それだけでも痛いぐらい。箸も持てないし。その1日は手がぶらんぶらんでした。

痛みを隠して挑んだ日本選手権

ーー庄野:それでも日本選手権に出たんですよね?出ないという選択肢はなかったんですか?
佐藤:なかったですね。挑戦せずにはいられなかった。日本選手権の試合前にも、痛み止めの注射を打って。

ーー庄野:自分の身体は誰よりもご自身がよく分かっていると思うし、傘を持てないという時点で、そんなに思う存分、投げられるとは思えない。その中で、どうやって競技場に立ったんですか?
佐藤:怖かったです。日本選手権が来るのが。今年は。
お願いやから、コロナで延期にならないかな?とか。
会場に行っても「怖いな」って言うのと。色んなメディアの方とかが期待して下さったので。「期待に応えたい」というのもありましたし。「怖い」って思いながら試合に出てしまいましたね。楽しめなかったですね。

ーー庄野:それはそうでしょう。周囲には言えないですよね?
佐藤:「なんとか、大丈夫です」と、言っていました。でも、自分でそう言うことで「痛い、痛い、痛い」って思いながら生活していくよりは「大丈夫です!もう治ってきました!」って言った方が、自分の慰めにもなりましたし。

ーー庄野:そういう思いであそこに立たれたということを
思うとより一層、見ている側の心も動くのですが。それくらい東京2020というのは、佐藤選手にとって大きなものでしたか?

佐藤:「絶対出たる!」って思いながらやっていたんですけれど、難しかったですね。

パリオリンピックにかける思い

ーー庄野:3年後、32歳。もうパリの舞台に立っているイメージはできていますか?
佐藤:もう分かったんで!調子がいい時に何をしたらあかんとか、そういうのもこの怪我で学んだんで「同じ失敗はしないぞ!」と思っています。目の前のオリンピック出場権をすぐ獲れるところにあるのに、もがいて獲りに行こうとしてしまったので。落ち着いていけば、普通に出られる大会じゃないかなと。

ーー庄野:トップアスリートの人生から我々一般人が学ばせて頂くとすると、陸上競技のみならず、こういうことってあると思うんです。ちょっと調子良くなった時に、足元をすくわれてしまったりとか、頑張りすぎて、それが継続的にならなかったり。その辺を会得した『佐藤友佳は無敵』ですね!
佐藤:そうですね!見えていますね、オリンピックは。

これからの目標

ーー庄野:その辺りを踏まえて、今日、色紙をご用意してきたので、目標を書いて頂けますでしょうか?
佐藤:パリオリンピック出場です!

もうあとはここに向けて、頑張るしかないです。

ーー庄野:この悔しい気持ちを!
佐藤:オリンピアンになるために!

ーー庄野:我々も陰ながら応援させていただきますので
これからも頑張ってください!

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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。

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