特集2021.09.30

ラグビー元日本代表の冨岡耕児さん(41)が立ち上げた「PRIDES(プライズ)」 《ラグビーって下がりながら前進する競技、コロナ禍で下げられても交わしていくのは得意》栄光と挫折を味わった男がラグビーの魅力をポジティブに発信する。

ラグビーを通してその魅力を日本のみならず世界へと発信し続ける会社「PRIDES(プライズ)」
その代表を務めるのは、大阪出身、41歳の元ラガーマン・冨岡耕児さん。
大阪・啓光学園高校で全国制覇、そして、日本代表選手としても活躍したトップ選手の冨岡さんが今、セカンドキャリアとして選んだ道が「PRIDES(プライズ)」の創設でした。
その決断を支えたのは栄光と苦悩の葛藤の中で生まれた、ラグビーへの熱き思いでした。
そんな冨岡さんのラグビー人生、そして会社を通して描くラグビーの未来について話を聞きました。

▼ 冨岡耕児 プロフィール ▲
1980年5月7日生まれ 41歳
大阪府出身 大阪・啓光学園高校~立命館大学
大学卒業後はオーストラリア ブリスベンにラグビー留学
その後、ヤマハ発動機ジュビロ~NTTドコモレッドハリケーンズで活躍
2008年、2009年 日本代表2選出、キャップは6(出場試合数)
現役時代のポジション:ウイング、フルバック

ラグビーの魅力を広める会社「PRIDES」とは? 名前にこめられたラグビー憲章5つの心得

ラジねえ。:はじめに、「PRIDES」について教えていただけますか?
冨岡:もともと 2012年からは立命館大学のコーチを2年間やっていたんですけど、
2014年に子供たちのアカデミー事業を始め、非営利団体を立ち上げました。
今は会社としてラグビー事業を専門に、子供向けのアカデミーや国際事業など、様々なことをやっている民間団体です。

神戸でイベントを行う冨岡さん(右)(冨岡さん提供)

ラジねえ。:非営利団体からの転換となったきっかけは何だったのですか?

冨岡:2019年のラグビーワールドカップのおかげですね。それまで非営利団体として続けていたのですが、ワールドカップのおかげでいろんなところからお仕事を貰うようになって、もはや非営利団体とは言えなくなってしまったんです。
そのタイミングで、名前も「一般社団法人 PRAS+」から「株式会社 PRIDES」に変わりました。

ラジねえ。:社名の「PRIDES」にはどんな想いが込められているのですか?

冨岡:ラグビーという競技には、ラグビー憲章という選手の心得みたいなものがあって、
その中に、情熱(passion)、尊重(respect)、品位(integrity)、規律(discipline)、結束(solidarity)という5つの単語の頭文字を取っています。
それらがコアバリューになっていて、それぞれにプライドを持ってやっていきましょうと名づけました。
ラグビーはいろんな人たちの強みをどう生かすかとか考えたり、逆に弱みはカバーすればいいよねという適材適所のスポーツなんですが、社会に出ていろんな人と協力する上で非常に近しい精神を感じますね。

ラグビー人生は意外なキックオフから… 強豪 啓光学園で高校日本一に輝く!

ラジねえ。:日本のトップ選手として活躍された冨岡さんが、どんな経緯で、この事業をされているのか気になります。そもそもラグビーを始めたきっかけは何だったのでしょう?

冨岡:僕は中学1年生の時にラグビーを始めました。小学生に遡りますが、すごくやんちゃだった時代がありまして、そのまま地元の中学にいくととんでもないやつになるということで、急きょ首根っこをつかまれたんです。それで、「啓光学園に行きなさい」と母親に言われ、中学は啓光学園中学校に入学しました。キリスト教の学校だったので、この子を真っ当な道に導いてくれるのは神様しかいないと。そんな感じのことを母は思っていたんじゃないかな。その中学でラグビー部に入りました。これが僕のラグビー人生の始まりでした。

ラジねえ。:ラグビーを選んだ理由は何だったのですか?

冨岡:最初はバスケ部に入ろうと思っていたんですけれど、バスケ部がなかったので、その時に仲良くなった友達に誘われてラグビー部に入りました。なので、ラグビー自体は全然ルールも知らないし、見たこともなかったです。

ラジねえ。:入部されていかがでした?

冨岡:啓光学園は中高ともににすごくラグビーが強かったんです。
いまで言えば高校野球の大阪桐蔭くらい毎回優勝をかけて戦うくらいの強さでした。
僕が高校1年生の時にはチームが全国準優勝しました。僕は2年生から試合に出て、その時がベスト4、高校3年生の時に優勝しました。卒業後は立命館大に進学して、オーストラリア留学を経て、ヤマハ発動機ジュビロというチームに入団したという形です。
その後はトップリーグのヤマハとNTTドコモレッドハリケーンズでプレーし現役を引退。
日本代表には2008年、2009年に選出されました。

エリートゆえの欺瞞、衝突、そして逃避…。 たったひとりのオーストラリア留学が教えてくれたもの

ラジねえ。:まさにラグビーのエリート街道ですね!

冨岡:実は高校時代にU19で日本代表に選ばれたのですけど、その後に大学行ってからドーンと下に落ちていきました。18歳で啓光学園で日本一になるという成功体験をしていたので、大学生の時はもうあからさまに過去の成功体験にしがみついている、捨てきれない、という形で4年間ずっと結果は出ませんでした。完全に浮いていましたね。

ラジねえ。:ご自身でも感じるくらい浮いていたのですか?

冨岡:めちゃくちゃ感じてましたね。
大学生の4年生の時には、当時の監督に「いやいや、高校の時はこうしてましたから、
こんな練習しても意味ないです」とか。もうそれで大学の監督に胸ぐらつかまれて、「俺の生活かかっとんじゃー!」みたいなこと言われて(笑)。
「知るかボケ!」みたいな感じで言い合いになっていました。
「お前のやってるラグビーのレベルの低さに俺はついていけない」って言っていました。
でも、周りにいた全国大会に出てない選手は素直に言うこと聞いてどんどん伸びるんです。
僕より全然格下の高校から来たやつに抜かれてしまったりするわけです。
それすらも僕は認めなくて。
高校までは自分に変な固定観念も先入観もなく、すべてを吸収していたから何に関しても成長を感じていましたが、逆に大学の時はそれに失敗しましたね。
もうここでラグビーは出来ないと思って、大学の奨学金でオーストラリアに留学しました。

ラジねえ。:そのオーストラリア留学が分岐点になった?

冨岡:オーストラリアでの経験で、一人で生きていく術を学びましたね。
生活面では誰も僕のこと知らないし、ただのジャパニーズだし、みたいな(笑)。
一人暮らしするようになってからは光熱費や家賃など払わなければいけないものを全部調べたりして大変でしたね。譲ってもらったボロボロの車はスーパーの駐車場でバックのギアが入らないこともありました。ニュートラルに入れて手で押して入れていました。(笑)
一方で、1年間現地の語学学校に通いながらラグビーしていたんですけど、オーストラリアのラグビーはすごく新鮮で機能的でした。練習のレベルの高さ、テンポの速さをみて、すごいなぁと思いました。そこからまた気持ちが再燃してやる気になったんです。

ラジねえ。:考え方に変化が起こったんですね?

冨岡:価値観の違う新たな環境に身を置いたことで、とにかく謙虚に、天狗にならず、本当に誰とか関係なく、聞けるものは聞こうという意識に変わりました。
その後、社会人になってヤマハに入ったのですが、そのお陰で1年目から全試合フル出場、トップリーグで準優勝することが出来ました。

ラジねえ。:そんな経験をなさっている冨岡さんからみた、ラグビーの魅力とは何でしょう?

冨岡:後ろにパスを回しながら前進していくことです。
今はコロナの影響で様々なものが止められていますが、そもそも僕らって下がりながら前進することって得意なんです。今 コロナに下げられていますけどスライドして、ボールを運ぶ位置を変えて前進していけばいいんでしょって話なんです。
ラグビーやってたおかげで、あまりコロナをマイナスには捉えてないですね。
めちゃくちゃポジティブに捉えられる、それがラグビーの魅力のひとつかなと思います。

過去~現在~未来へ 想いを形にする「PRIDES」 対立を恐れない、痛みを恐れない前進で得られるもの

ラジねえ。:2012年に引退されていますが、現在の団体を立ち上げたのはそのすぐ後ですか?

冨岡:2012年からは立命館大学のコーチになって2年間やっていました。
2014年に子供たちのアカデミー事業を始めたときに前身となる団体を立ち上げました。
*非営利団体の一般社団法人「PRAS+」
そこからワールドカップを機に多忙になり、現在に至ります。

ラジねえ。:PRIDESを通してよかったなと思うものは何ですか?

冨岡:それは今まで全部なんですけど、特に小3~中3対象のラグビーアカデミーですね。
僕たちプロが教えるので、子供たちが出来なかったことが出来るようなりますね。
さらにアカデミーのおかげで子供たち自身が変わって、家庭にもいい影響が出ていることを親御さん達から聞くと、やっていてよかったなと思いますね。
他には外務省との連携事業として、三年連続で五人制のタグラグビーの交流もしました。ASEAN10ヵ国と東ティモールの子供たち200人に対して交流する機会を作る。過去の国同士の争いはあったけれども、今日は「ノーサイド」で交流しましょうということを最初に伝えました。「ノーサイド」の概念ってもともと日本にしかないんです。

アカデミーで子どもたちに教える冨岡さん(冨岡さん提供)

練習中の子どもたち(冨岡さん提供)

ラジねえ。:「ノーサイド」の精神は日本発祥だったなんて、知らなかったです!

冨岡:僕たちの活動で知って、今も彼らの中にはラグビーの「ノーサイド」の精神が残っているらしくて、この精神を通じて交流できたことはすごい経験になりました。
他にはLGBTの方々とタグラグビーをしたり、それもまた「ノーサイド」の精神を通じて相互理解をしたりと、こちらも学ぶことは多いです。
*試合終了を「ノーサイド」と表現するのは日本だけ。他の国では「フルタイム」と言う。

ラジねえ。:ラグビー界の現状の課題をどのように感じていますか?

冨岡:見てもらう人を増やすことが課題ですね。まずコロナのせいで観る機会が減っている。格闘技もそうですけれど、見る人が「自分こんなことできひんな」と思わせる。観ていて力が入るっていう部分が感動を生みます。
PRIDESとしてはどんな方もラグビーに関われる環境を作ることが必要だと思っています。

ラジねえ。:その課題への挑戦も含めて、会社としてはどんなチームづくりを目指していますか?

冨岡:「互いを尊重しあっている中で、対立を恐れず意見しあえるチーム」というのが僕の理想のチームです。対立って結構ストレスかかるけど、それなしに結束って絶対にないんです。仲良しこよしじゃ絶対にいいチームは出来ないと、僕は思っているので。
チームワークの高まりってチームの人を前進させる、組織を前進させる力がそこに生まれると思っていて、継続的な建設的対立を通して結束した瞬間っていうもの繰り返してチームビルディングを進めていきたいと思っています。

ラジねえ。:冨岡さんの目指すところが100%だとしたら今は何パーセントですか?

冨岡:10%ですね。その10%は「スタートラインに立った10%」でもう後は全力で走るだけなので、これからの過程に自信がないわけでもないし、十分トレーニングを積んでスタートラインに立っているので、どこまで走ればいいかはわからないですけどあとは走るだけですね。
ラジねえ。:最後に、ラグビーに挑戦してみたいという方に向けてメッセージを!
冨岡:元々イメージがやっぱり痛い、ハードなスポーツだと思いますが、ビーチラグビー、タッチラグビー、タグラグビーなどライトめな色々なラグビーがあります。
そこに共通している点は、ボールをもって走るという点で多くの方が出来るので、
初心者未経験者問わず挑戦してほしいです。また、スポーツには競技をするだけではなく、いろんなかかわり方があるので、見る でも支える でも、自分の場所をそこに見つけて人生を豊かにしてほしいと思います。

インタビューに答えてくださった冨岡さん(左)とラジねえ。(右)

ラジねえ。取材後記

ラグビーはスポーツの域を超えた人格形成の一面も広く担っていることは有名ですが、こうしてラグビーを通し、それを体現され、さらにトップ選手としても活躍してきた冨岡さんの言葉には、「ラグビーを通して本気で世の中を良くしたい」という熱い想いと強い説得力を感じました。
2019年の熱狂から2年が経過した現在、ラグビーから距離を感じる方も多いと思いますが、今回の冨岡さんのお話を機に、今一度、ライブ観戦でその魅力を感じていただければ、新たな楽しみ方ができるのではと思います。
ラグビーに対する想いだけでなく、冨岡さんの人間としての熱い想いを感じました。
【対立なくして結束なし】という座右の銘! 一人の人間として素晴らしい方でした

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