特集2021.11.30

【前編】『スポーツマンNo.1決定戦』伝説のMONSTER BOXと言えば? 池谷直樹が波瀾万丈な人生とスポーツキャリア支援を語る!

“池谷直樹” と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?
「MONSTER BOX(モンスターボックス)」世界記録保持者? スポーツマンNo.1決定戦?
オリンピック選手 池谷幸雄の弟? タレント? 経営者?
どれも池谷直樹を語る為にはほんの1割程度の表の顔

そんな池谷直樹選手の素顔、そして壮絶な過去から生まれたプロアスリート選手に対するキャリアへの向き合い方その本質に今回は迫りたいと思います。
本邦初公開!池谷直樹の波乱万丈人生の真実に迫る!

池谷直樹 プロフィール

■略歴

1973年生まれ。大阪府出身。

清風中学校、清風高等学校、日本体育大学卒業。

全日本社会人選手権 個人総合4位、鉄棒 種目優勝。


現在は、スポーツタレントとして活動。
TBS系スポーツマンNo.1決定戦において、MONSTER BOX23段を日本人として初めて跳び、その記録は現在も破られていない。
2011年自らが主宰となり、ミュージカル「サムライ・ロック・オーケストラ」を旗揚げ。



■大会出場記録

1995年 全日本インカレ

1996年 アトランタ五輪最終予選 個人総合10位

1997年 全日本選手権 全日本社会人
各個人総合4位 種目別鉄棒優勝



■保有資格
現 跳び箱世界記録保持者 (23段)



■過去の出演歴

2014年 TBS「炎の体育会TV SP」

2013年 テレビ朝日「今年スゴかった人全員集合テレビ2013」

2013年 TBS「究極の男は誰だ!? 最強スポーツ男子頂上決戦」

2013年 ももいろクローバーZ 夏のバカ騒ぎ 2013
TBS「筋肉番付」

TBS「スポーツマンNo.1決定戦」

TBS「SASUKE」

TBS「スポーツ男子頂上決戦」

池谷選手本日はよろしくお願いします!この日を楽しみにしておりました。
改めて自己紹介からお願いしてよろしいでしょうか? 

池谷:自己紹介…そうやな〜(笑)
えー、体操を17年間やって大学4年くらい、社会人1年の時にアトランタオリンピックがあって、大学4年の最後の試合でナショナル入ってオリンピック目指しました。
オリンピック代表は7位までだったんですが、予選では7位、最終で10位で行けず。
次の年に引退をして、ほんまはシドニーオリンピックの4年後までやってよかったんやけど、 やっぱりシドニーまでやっていても行かれへんしな〜って。

その時は今後のキャリアについて考えてらっしゃったんですか?

考えてない(笑)オリンピック予選までは一生懸命やってたしな〜。
引退してから試合とかちょこちょこやりながらどうしようかなって考えた時に、
兄貴がホリプロだったから芸能界入ろうと思ってマネージャーに相談したりして、
その時にとあるバスケットチームを自分で作った。リングの周りにトランポリン置いて回転しながらダンクしたりするやつ!
あれを体操のメンバーと作って、芸能界入って自分が筆頭にやっていこうと思ってたけど、そんなに甘くなかった(笑)
最初は2年くらいパチンコ屋でアルバイトしてたもん。上野毛のヒノマルっていうとこで。

池谷=跳び箱 というイメージ

パチンコ屋でアルバイトしてたんですね!スポーツマンNO.1の決定戦のイメージが強すぎて。。。

池谷:あの時 実は、ケインコスギの跳び箱指導してて、ちょこちょこ番組の裏側で待機してて、周りの選手が16段程度の跳び箱で断念している中で、ケインコスギが22段まで飛べたのね。 
そんなのが2回連続くらい続いて、番組プロデューサーがたまたま俺に声をかけて、自分が出たら面白いんじゃないかっていうのが始まりだった。

だって、総合優勝で200万の賞金よ!!(笑)
当時パチンコ屋が月10万の稼ぎだったから年収だよね(笑)それゃ必死こいてやったわ〜
23段の世界記録出すまでには番組参加して2年くらいかかったかな〜
ちなみにその時もパチ屋でアルバイトしてたしね(笑)
見てくださっている人いたら「あ、どうも」って声かけてた(笑)それがあって、池谷=跳び箱ってイメージができたんやと思う。
最初は古舘さん(注:古舘伊知郎さん 当時のメインキャスター)も池谷幸雄の弟って紹介だったけど、途中から池谷直樹を前面に出してくださったな〜

マッスルミュージカル 年間340公演を10年以上継続

そこからマッスルミュージカルに行くまでにはどういう経緯だったんですか?

池谷:マッスルミュージカルはモンスターボックスの番組プロデューサーがやり出したんだけど始まったのは2001年かな〜
自分は出演者として舞台に立っていて、2004年から横浜の専用劇場で、2006にはラスベガスでも公演して、2007年からは渋谷の専用劇場でやってたね。

1ヶ月くらいラスベガス住んで、毎日ショーやってた。途中で日本に戻って2011年までやって、トータル10年以上やって、年間340公演してたね。
大変だったけど、代わりもいなかったし。トータル100万人以上は見てくれたんだろうな〜。

そんな中で例の事件が起きてしまったんですね・・・

運営会社の突然の倒産、サムライの始まり

池谷:2011年の震災などでできなかった事も多かったんだけど、そんな矢先にマッスルミュージカルを運営していた会社が倒産したんですよね。自分たちは経営には携わってはいなかったんですが、 ゴールデンウィーク前に稽古してたら突然「2時間以内に立ち退いてください」って。(笑)
あとでもう一度戻れるって聞いたから荷物も置いてとりあえず出たら、結局戻れなかったよね(笑)
その時は何が何だかわからずで経営に入っていなかったのもあって、だけどなくなるんちゃうかって思ってたからすぐにサムライ*を始めようと思った。
(*サムライ=サムライ・ロック・オーケストラ 世界レベルのアスリート、メダリストによる新感覚アクロバットミュージカル)
2011年5月に会社が倒産して、6月から10月までずっと放置されたから、こういうのやろうって周りに声かけてイベント始めて、2012年春からやろうと思ってたんだよね。

その時芸能活動とかどうしてたんですか?別の仕事にシフトしようなど考えなかったんでしょうか?

池谷:今考えるとそのままホリプロいて、タレントとしてもできたと思うんですが、
その時はなんか違ったんでしょうね(笑)次こうしたいからってホリプロに伝えて、じゃあ別でやろうってなって
法人立てる事から始めて、舞台を決めたり、いろんなことを作る事から俺作らなあかんし…ってところからやったな〜

さらなる悲劇…! そして独立へ

マッスルミュージカルがなくなって、池谷さん以外にも同様の動きはあったんでしょうか?

池谷:周りにそういう大人たちがいてくれて、それも上手い話だなと思っていたけど、ある人とこういうことやろうと話をしていたら、お金はその人が出すからって言ってくれて、始めた。
最終的に後からわかったんだけど、お金を出す人の会社はもうあぶなかったんだよね。当時はそんな風に見えなかった。

結局、公演やろうとしたらお金がない!と。その人はこういうこと新しくやるから、それには5000万かかると融資を募っていた。
周りには自分の元々の事業のためにも2億円集めようとしていた算段だったらしい。結果的に1億円いくかいかないかくらいで…
会社の再建にあてようとして、こっちにはお金が回ってこなかったんだよ。何公演かをキャンセル、九州ツアーが決まっていたけど、飛行機代がないという話になって、すぐにキャンセルした。払い戻しなども自分でやったな〜。
今でも当時の決算書のアレに1000万くらい当時の回収できなかったものが載ってるもん(笑)

そこからまた自分でスポンサー見つけたり、銀行に借金したりして。自分、アスリートだったから経営とかもよくわからなったのにね(笑)

そんな中でやろうってよく決意できましたよね。怖くなかったんですか?

池谷:後戻りできないしね。怖いというか、もうやるしかなかったから。
そこからサムライ・ロック・オーケストラが始まった。

何より「マッスルミュージカル演者のその後の場を作りたい」って思いが最初から強かった。
ミュージカルをやっていた人たちが、個々でやるのは無理でも集まればできるんじゃないかと思ってやり始めたので。


▶▶▶後編へ続く…

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