特集2021.10.25

競泳・自由形の 外舘 祥さん(30) 十代でオリンピックに出場したトップスイマーが限界を感じた “技術の壁” 工場の町 東大阪でチャレンジした事業 [メタルシティ] “ 他者に教えること ” の学びが、現役復帰を決意させた!

競泳の外舘 祥(そとだて・しょう)さん。
ロンドンオリンピックやバルセロナ世界水泳の日本代表選手として活躍しました。
25歳の時に一度は引退。今年30歳になりますが、あることがきっかけで現役復帰!
再び世界の舞台へ戦える状態に戻ってきました。
オリンピアンの引退年齢の平均は29歳と言われています。
30代になっても、年齢にとらわれず世界の舞台へ挑戦し続けたいと話す外舘さんにお話を伺いました。

▼外舘 祥 Sotodate Sho プロフィール ▲
 1991年8月5日生まれ  30歳
 北海道出身 近畿大学付属高校〜近畿大学〜イトマン
 専門種目:自由形
 2012年 ロンドンオリンピック代表(800mリレー出場)
 2013年 バルセロナ世界選手権代表(800mリレー5位入賞)
 東大阪で水泳の技術を広める事業「メタルシティ」を主催する。

根性と勢いだけで出場したロンドンオリンピック

「最近です。水泳が楽しくなってきたのは。25年くらい楽しくなかったです。
水泳ってしんどいんですよ。あんまり景色変わんないし。息もとめなきゃいけないし。
バスケやバレーみたいに “よっしゃ!”ってなるゲーム性はないし、楽しくないんですよ。
我慢比べみたい。100あるうちの99はキツいです。(笑)
(なんで頑張れた?)札幌から大阪に出てきて、こんなにしんどい思いして、オリンピックに出られなかったら無駄だなあと思いましたし、やっぱりそこへ行ってみないと見えない景色があるんだと思って頑張りました。」

「最近です。水泳が楽しくなってきたのは。25年くらい楽しくなかったです。」

北海道生まれ、「サメになりたかった」という外舘少年は4歳で水泳を始めます。
アテネ五輪で活躍する奥村 選手(当時 近畿大学)を見てオリンピックに憧れを抱き、中学を卒業すると大阪の近大付属高校へ進学。競泳のエリートとしての道を歩み始めます。
2012年、近畿大学3年生の時、ロンドンオリンピックに出場、翌年の2013年バルセロナで開かれた世界水泳にも出場し、800mリレーの第2泳者として5位入賞に貢献した外舘さん。
184センチ80キロ。恵まれた体格と努力の結果、世界の舞台で活躍してきました。
しかし、周りには『外舘は“根性”と“勢い”で出場した』と言われ続けていました。
外舘さんは当時の自分をこう振り返ります。

 
「自分でもオリンピックの時は技術がなかったと思っています。無理のある練習を続けていて、 普通だととっくに故障していました。
僕がコーチに言われたのは『とにかく外舘は怪我をしない』それだけが強みでした。運と勢いだけでなく もっとちゃんと技術を追求しないといけないな とオリンピックが終わってからはずっと思っていました。」

限界だった“勢い” 出直すもリオには間に合わず…

大学を卒業後も競技を続けようと、イトマンスイミングスクールに入社。
常に結果を出さねばらなない看板選手になりました。 
次のリオデジャネイロオリンピックに向け、練習する日々。
しかし、“勢い”に翳りが出始めます。
タイムが落ち続けていったのです。
きっかけは後輩の才能を目の当たりにした瞬間でした。 
 
「後輩の坂田怜央(さかた れお)くん、自由形で日本を引っ張る逸材の子だったんですが、その子の泳ぎを見た時に、負けるな と思ったんです。
力技でやってきた僕がアメ車だとしたら、彼は効率よく速いハイブリッド車なんですよ。
このままではいけないと、自分の全部、フォームから全てを壊すことから始めました。
2016年のリオオリンピックに間に合わせようとしましたが、間に合いませんでした。
イトマンは厳しくてオリンピックごとの契約なんです。
だいたい4年契約で、首は切られないけれど、選手を辞めてコーチにならないといけない。コーチになってくれと言われた時に、僕には無理だと断りました。
水泳を全然追求し足りていないんです。」

外舘さんは競技者してのキャリアに一旦はピリオドを打つと決意しました。

水泳と向き合う日々から生まれた「メタルシティ」

引退後、外舘さんは幾つものアルバイトをしながら生計を支えてきました。
バーテンダーやホテルのウエイター、ライブ会場の設営など…
様々な仕事をしながらも、なぜか水泳への情熱は消えませんでした。

「色々と経験してやっぱり水泳と向き合おう。と思いました。
でも、じゃあ水泳を教えられるか?と聞かれたら、教えられると思えなかったんです。
勢いでやってきたから、なんで僕が速いかが分からないし、他人の泳ぎも見てこなかった。
人の泳ぎを見るようになったのは引退してからです。
これはまずい。20何年やってきたのに、水泳のこと、何も分かっていないと。だったら、これを仕事にしようと考えたんです。」

教えることを仕事にしてしまおう。
外舘さんが始めたのが「メタルシティ」と言う事業です。
「メタルシティ」は20代から80代のマスターズ世代の人たちと水泳の技術を追求するプロジェクト。
東大阪を拠点に、個人レッスン、定期練習会、オンラインレッスンなどを開催してきました。
それらのイベントを通じて、外舘さん自身も “泳ぐ技術” を追求していきます。

自らが活動拠点としてきた東大阪は中小の工場が集まる町。ロケットが開発される技術の町で、なかでも金属加工の工場が多い。
自分たちも水泳の技術を追求しようと「メタルシティ」と命名しました。

メタルシティのみなさん(提供:外舘さん)

「メタルシティの練習会で人の泳ぎを見て発見すること多いですね。僕が多く見ているのが50代60代の親世代なんですけれど、大人の人ほど根性があって、1本目から頑張らないでと言っているのに頑張っちゃう。(笑)
心に燃えるものがあるんだと思います。
でも、『その燃え方だと水には上手く伝わらないよ』『それだと怪我をしちゃうよ』と教えているうちに、僕もこういう泳ぎ方していたと気がついたんです。
『ああ、俺もこうなってる瞬間あるわ。そりゃ進まんわ』って。(笑)
その人に自分を投影して『あ、これは絶対ダメだ』ってわかるんですよ。
でも、自分のことだと曖昧になる。それなりのスピードで泳げてしまうから。
けど、それはベストの選択じゃない。他人は自分の鏡だなって思いましたね。
人に言いながら同時に、同じことを自分に言い聞かせるようになりました。
そうしているうちに、僕自身が元気で戦えるようになってきたんです。」

教えることで目覚めた!スイマーとして現役復帰を決意


もういちど、世界の舞台で戦いたい!
外舘さんがこだわる技術を求めて依頼したのが、元フィギュアスケート選手の馬場摩実(ばんば・まみ)コーチです。
馬場コーチは外舘さんの細かい動きを見逃しません。

指導中の馬場コーチ

「水泳って見た目のスポーツじゃないんです、数字のスポーツなんです。
でも速い人って見た目もいい。水の上では綺麗に泳いでいても水の中では肘とかが難しいんです。そこをフィギュア的視点で見てもらっています。」

技術を武器に、生まれ変わろうとしている外舘さん。
目標は2022年5月に福岡で開かれる世界水泳選手権(世界水泳)です。
その代表選考会が来年の3月、東京で行われます。
外舘さんはすでに選考会に出場するための標準記録を突破しました。
ここからは綿密な練習メニューをこなし、秒単位でタイムを縮めていく。
現在30歳 いま最大のミッションはおよそ10年ぶりとなる世界水泳の舞台です。

「今のミッションは僕が世界水泳へ行くこと、メタルシティの門下生が各々の技術を上げて、目標を叶えて、水泳を楽しんでもらうことですね。」
「情熱が続く理由は根性論じゃない。自分がこうなりたいと思う美学だと思うんです。
理想像を描けたら行動は変わるはず。年齢を気にしないで、こだわりたいことをこだわる。
ちゃんと自分の美学(理想)と向かい合ってやっていきたいと思います。」

そして、最後に自身の美学を大切にする外舘さんらしい夢を話してくれました。

「まずは世界水泳に出ること、そこから先の夢もあるんです。
スイマー仲間で音楽のバンド組んで、そのバンドのメンバーでマスターズの日本新出したいです!
僕はギターとベースやってるので、誰が入ってきても大丈夫です。
セカンドキャリアとしては水泳用具のメーカーで働いたりすることが多いんですけど、生活は安定するかもしれないけど、ずっと見てきた世界なので、冒険してみたいなと思います。」



「20年前、2001年も今回と同じ福岡で世界水泳があって、来年の世界水泳は自分の中でいい区切りだなと思ってます。
いま世界水泳と言えば(B’zさんの)「Ultra Soul」ってなってますけど、あの曲も2001年の福岡世界水泳大会のために作られた曲なんですよ。
いま、僕も「Ultra Soul」弾けるし(笑)、代表になったら楽しいかなって思います。」

取材 2021年7月
場所 スイムピア奈良