
レスリング生活を引退し、セカンドキャリアとして開業・独立を果たした米澤圭さん。現在はLINEを活用したWEBマーケティングや、整体や美容エステなどに向けたシェアサロンの運営に携わっています。セカンドキャリアを歩み始めた米澤さんに現在のキャリアに至るまでのお話をお伺いしました。
目次
優秀な弟と比べられるも、負けず嫌いの性格でレスリングを続ける
レスリングを始めたきっかけを教えてください。
父親が格闘技を好きなのと、たまたま近くに道場があったので、5歳からレスリングを始めました。両親がレスリングをやっていたわけではないのですが。それから20年以上も続けられたのがいまだに不思議です(笑)
レスリングの才能はすぐに開花したのでしょうか?
いえ全く(笑)小さい頃は、ずっと泣いてばかりで、試合にも勝てない日々が続いていました。そんな中、弟もレスリングが始めたのですが、僕と違ってとてもセンスがあり、小学校の全国大会でも優勝するほどに。当然比べられてしまって、「自分に才能がないのかな」と悔しいモヤモヤした気持ちでした。それでも負けず嫌いな性格なので、弟には負けてられないという精神で続けてきましたね。
意外です。その中でもモチベーションを保ち続けられたのはなぜですか?
ただ「負けず嫌い」だからですかね。あとは勝ったときの喜びが忘れられないというのも大きかったです。
高3でレスリングの才能が花開き、早稲田大学在学中に世界学生選手権で優勝!
ちなみにレスリングを始めて、花が開いたタイミングはいつでしたか?
高3ですね。小学校高学年から徐々に勝てるようにはなってきて、中学3年で全国大会3位に入りました。「もうちょっと強くなりたい」「全国優勝を味わいたい」と思い、高校は秋田の強豪校に進学したんです。
高校生活はいかがでしたか?
全然勝てなかったですね。「わざわざ秋田まで来たのにどうしよう」焦り、怪我もしてしまいました。ただ、3年間で結果を出すことだけは決めていて。当時OBの方が練習に来てくださったので、たくさんアドバイスを聞いていましたね。鬼のフィードバックを毎日繰り返していました(笑)とても実践的で、ボコボコにされながら覚えられる良い環境でしたね。早く強くなれたので。
その間、弟さんは?
当時はそこまで目立った成績ではなかったはずですね。高校は一緒の学校に入ってきましたが(笑)
高校はかなり強かったんですか?
個人が強いというより団体、チーム力が高かったですね。団体戦でも全国3位とか上位に入るレベルでしたね。
その中で個人で優勝したのがすごいですね!
当時の監督にも「まさかお前が優勝すると思わなかったよ」と言われました(笑)最初は全然強くなかったので。
その後、大学はなぜ早稲田を選んだんですか?
早稲田は自分を鼓舞する人たちが多く、楽しい雰囲気でレスリングに取り組んでいるのが印象的でした。勝利を目指すのは当然ですが、大学では自分で考えてレスリングをしたいと思い、雰囲気重視で早稲田を選びました。
大学時の成績は?
大学1年でインカレ3位になり、手応えを感じました。すると、大学2年で優勝し、学生2冠を達成。全日本でも2位になりましたし、右肩上がりでステップアップできました。けれど、大学3年の後半で肩と膝を怪我してしまったんです。自分には休むっていう概念がなかったので、私生活でもしんどくなるくらい悪化してしまって。ついには100%で練習ができなくなり、大学4年では主将を務めたものの、日本国内では良い成績をあまり出せませんでした。なんとか世界学生選手権のブラジル開催の代表に選ばれて優勝できましたが。
弟さんとの関係は、その後いかがでしょう?
早稲田に来ました(笑)もともと自分がライバル視していたので、弟が「兄に負けずに頑張ろう」と思ってくれたら嬉しいですよね。よく喧嘩ばかりしていましたが、一旦離れてから再び同じ空間で練習すると、お互いにリスペクトを込めたコミュニケーションを取れるようになって仲良くなりました。練習も一緒にしましたし、アドバイスし合ったり、良い関係性だったなと今思います。

大学時代の試合(提供:米澤さん)
大学卒業後の就職した経験が現在の礎に。セカンドキャリアの不安を払拭するには?
社会人になってからはいかがですか?
正社員という形態ですが、出社が週に1回で(笑)練習が火曜日から日曜日まで週6日あって、オフの月曜日に出社していました。週に1回の出社では、人材開発部に所属して採用関係の手伝いをしていましたね。その中で印象的だったのが社内報を作る仕事です。冊子とWEBがあったのですが、社内の人に存在を知ってもらうために普段の生活、食生活やメンタル面などを文章で紹介して発信していました。会社の人たちから「こういうことしてるんだ」「米澤君が書く文章おもしろいね」といった反応があり、意外と文章書けるんだという自信になりましたね。「俺ってレスリングだけじゃない」と気がつけたきっかけだったかもしれません。ビジネスマナーやメール対応、会社の仕組みなども知れて、週に1回でしたが、行って良かったと思っています。
入ってからは人材開発の採用の仕事ですか?
ずっとやっていました。採用関係でいうと、学生たちにLINEを配信したり……。今の仕事につながっていますね(笑)
そういうのって、あるんですね! 競技の方を引退するきっかけはどういったことでしたか?
全日本に出ても1回戦で負けることが増えたんです。「なんでだろう」と納得がいかず、葛藤する日々が続いていました。怪我もありましたが。それにしてもおかしいと。その後、代表選考会があったので、覚悟を決めて出場したのですが、また1回戦負け。ちょうどそのタイミングでビジネスの勉強を始め、やりたいことが徐々に定まってきたので、2021年1月に引退を決意しました。
やめることに勇気はいりませんでしたか?
根拠のない自信がありましたね。圧倒的にセンスがなかった自分が、ここまでレスリングでやってこられたので、「努力の仕方さえ間違わなければ、ある程度のところまでできる」「原理原則さえ押さえておけば何でもできる」という自信が生まれました。センスがないタイプでよかったなと思います。
今のお仕事について教えてください。
業務改善や配信の自動化などのツールを用い、お客さまの売り上げをサポートしています。
もともと情報を分析するのが好きなので、WEBマーケティングが性に合っているのではと思って深掘りしてみると、LINEマーケティングが注目を集めていて。自分でシステムを入れて試してみたら、これなら自信を持って提供できると思いました。
レスリングに対して今考えていることはあるんですか?
レスリングというよりアスリート全体に対して思っていることがあります。それは、現役のうちから社会との接点を持つべきではないかと。というのも、現在、大学のスポンサー活動を支援しているのですが、学生だけでスポンサーを探して、練習終わった後にマットの上で今週の営業報告の会議をしています(笑)アスリートって「自分には競技しかできない」と思いがちですが、例えば学生のうちから社会人との関わりを持っていたら辞めた後の不安も軽減するのではないでしょうか。
今後の展望について教えていただけますか?
僕はたまたまやりたいことを運良く見つけられましたが、どうしたらいいかわからない人もいると思うんですね。アスリートって決まれば猛ダッシュできる人が多いので、そこをうまく活かしてほしいなと思いますし、解決してあげられるような仕組みも作りたいですね。
まだ自分も独立したばかりなので、ビジネスで実績を残すことが最優先かなと思っています。

コーチ中の米澤さん(提供:米澤さん)
取材後記
「レスリングのセンスがなかった」と自称する米澤さんだからこそ、セカンドキャリアに悩む人の気持ちに寄り添うことができるのではないかと感じました。努力を大事にされていることがよく伝わるインタビューでした。
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