特集2022.02.03

ES LEAGUEはセパタクロー新時代を創るか。総合プロデューサー・玉置大嗣選手に問う、新リーグと選手のキャリアデザイン。

東南アジア発祥の「足のバレーボール」とも呼ばれるスポーツ、セパタクロー。
タイにはプロリーグがあり、同国代表は国際大会でも圧倒的な強さを誇る。
一方日本ではプロはおろかリーグ戦も行われていない、発展途上のスポーツである。しかしながら2018年に行われたアジア大会では4人制種目(クアッド)で銀メダルを獲得する快挙を成し遂げた。
そんなセパタクローのさらなる高みを目指し、日本では新たな活動が始まっている。
それが国内リーグ「ES LEAGUE」の設立だ。特筆すべきは選手自らが立ち上げ、運営に向けて動いているという点である。2021年11月にクラウドファンディングを行い、当初の目標額を大きく上回る約370万円を集め、2022年2月11日についに開幕を迎える。
今回はその活動の中心人物である、セパタクロー強化指定選手の玉置大嗣氏に話を伺う。

どん底からスタートしたセパタクローを続ける理由と覚悟

まずセパタクローとの出会いから教えてください。

大学の新入生歓迎会で出会ったのが最初です。競技自体は知っていたので、試しに体験会に行ってみることにしました。
そこで先輩がやっていたバク転のような動きをしながらコートに球を蹴り込むローリングアタックというプレーがカッコよかったんです。日本代表にもなれるという誘い文句にも惹かれ始めることにしました。
ただそれをやるアタッカーというポジションには体の柔軟性が必要です。自分はそれが足りないせいで怪我が多くて、両足の腿裏を肉離れすることもありました。
もう歩くのも難しくて、大学の講義を聞くのままならなかったですね。腿に当たると痛いので普通にイスに座れず、尻だけイスに乗せてました(笑)
大学2年になってからは同級生とセパタクローの本場・タイに修行にも行きましたが、ボコボコにやられて全く歯が立ちませんでした。
だからセパタクロー人生のスタートはどん底だったと言えます。
でもやはり最初に見たあのカッコいいプレー姿に憧れて辞めずに続けていきました。

軽い気持ちで始めて、そんな大変な目にも遭ったのに続ける忍耐力に脱帽です。

でもタイから帰国後、今度は膝を痛めてしまい、結局アタッカーは断念せざるを得なくなって、サーバーに転向しました。
それが功を奏してか、間もなく世界大会のサポートメンバーに選出されて日本代表としてのキャリアが開かれ、今に至ります。

社会人になるタイミングで競技に区切りをつける選手も多いですが、玉置さんはどのような考えで続けることにしたのでしょうか。

社会人になるタイミングでセパタクローのプロ選手を目指す気持ちでいました。
そのぐらいでないとおそらく日本代表として世界一になることはできないと思ったからです。
だから就職活動もせず、タイに毎年夏に修行に行ったり、自由に行動できるようにバイト生活を選びました。

日本におけるセパタクローの先人たちは自分達よりももっといろいろなものを犠牲にしてきています。
タイに長期滞在して現地のコーチに教えてもらったり、プロリーグに毎年挑戦して、でも長い年月をかけて信頼を勝ち得るまでは、なかなか試合にも出られなかったといった経験をしてきていました。
日本ではレジェンド級でもタイのプロリーグでは通用しない実情がある中で、自分はそういった人と比べて身体能力もメンタリティも足りていません。だからこそ、振り切らなければと考えたわけです。
今考えると無謀な挑戦だったのかもしれません。例えばスポンサーを付けようと思ってもどうしたらいいか分からないし、そもそもセパタクローの認知拡大からしないといけないといった様々な課題にぶつかりました。

葛藤、挫折の末に行き着いた「恩返し」というシンプルな答え

しかし、その後は企業に就職しています。キャリアについての考え方にどのような変化があったのでしょうか。

2016年に大学を卒業し、会社に初めて就職したのは2018年の冬です。就職の一番大きな理由は結婚したことですね。
その2年間でセパタクローには何が足りないのかをずっと考えて続けていました。
認知の拡大、既存ファンとの関係構築、大会・試合の見せ方の改善など、見えてきたものがたくさんありました。

また、同じタイミングで膝の前十字靭帯断裂という大きな怪我も経験しています。
結局選手としてしんどい時を支えてくれたのは、自分の道を応援してくれるファンや家族、チームメイトといった周りの人たちであることを気付かされたんです。だからこそ恩返ししなきゃいけないという気持ちになりました。
だから自分の事情で就職するにしても条件の良さや選手活動に理解があるだけでは選ばず、僕のアスリートとしてのあり方を形にできる場所を探しました。

そこで入ったのはアスリートとファンをつなぐアプリを開発している会社です。当然サービスを使ってもらうためにはファンとアスリート両方の気持ちを理解する必要がありました。
その会社はなくなってしまいましたが大切な視点だと思いますし、今にも生きています。

僕がやってきたことは基本的に全部繋がっていて、そもそも競技に対して熱い想いがないアスリートは応援されないし、大きな目標に向かっていなければファンは応援しづらいと思います。
特に我々マイナースポーツの選手は想いを持ち、目標に向かって努力する姿を見せ、応援してくださる方への感謝の気持ちを伝えることが絶対に必要です。

現在は映像制作とデジタルマーケティングの企業に勤めていますが、どういった経緯があったのでしょうか?

今はその会社でプロデュース側としてイベントや制作の進行管理や営業をやっています。
元々セパタクローは映像映えすると思っていて、自分でYou Tubeに動画を上げたりもしていました。
でも知識がないままやっていても数字が伸びないんですよね。ちょうどそのタイミングで知人に紹介してもらって今の会社に入りました。
セパタクローの魅力を動画を通して伝えるためにはクオリティやマーケティングという面からも改善する必要がありそうなので、学びながら仕事しています。

コロナ禍を期に選手間で上がったリーグ戦の開催

転職に加え、今回「ES LEAGUE」というセパタクローリーグの立ち上げという大きな挑戦もスタートさせています。

きっかけはコロナ禍で強化指定選手(日本代表)ですら練習場所が確保できない状況になってしまったことです。
協会の協力も得ながら場所を何とか確保できた時に、練習だけではもったいないという話になって、リーグ戦開催という案が出てきたんです。
自分は昔からリーグ戦をやりたいと言っていて、過去にクラウドファンディングをやった経験もあったことから、まずはクラウドファンディングの設計のためにも、プロジェクトのリーダーに選ばれました。
だから自分が発起人ということではありません。

ES LEAGUEとはどのようなリーグなのでしょうか。

ES LEAGUEは協会とは全く別の組織で、選手が主体となって運営するリーグです。ただ、常に日本最高峰のレベルをお見せするため、出場資格は協会の強化指定選手のみと定めています。
だから選考がある半年毎に選手の入れ替えがあって、それを1シーズンとします。選考から漏れるとES LEAGUEの試合には出場できなくなるという厳しいものです。
各選手は普段の所属とは異なるES LEAGUEのチームに振り分けられます。

クラウドファンディングで目標の約4倍、約370万円の資金を調達。

リーグ立ち上げのためのクラウドファンディングでは1ヶ月間で当初の目標額100万円を大きく上回る、約370万円の支援を集めています。

既に協会を応援してくれている企業、選手のスポンサー、所属先からアプローチしていきました。
でも最初は選手に理解してもらうのも大変でした。「自分は周りに返せることなんてない」「今の自分に支援してほしいなんておこがましくて言えない」とすら思う選手もいたんです。
でも選手としての熱意を表現し、応援してもらう代わりにいろいろなことを返していくのがアスリートという存在だと僕は定義しているので、支援をお願いすることは決して恥ずかしいことではないと繰り返し伝えていきました。
今回のリーグは僕が一人でやるものではありません。選手みんなで作るものだからこそ、一人ひとりに自分ごとにしてもらう必要がありました。

たくさんの支援を集めるために具体的にやったことを教えてください。

結局クラウドファンディングの成功の秘訣は個別で連絡することです。いくらSNSで発信しても集まらないです。
自分で知り合いにガンガン電話やメッセージを送って応援してくださいと言いまくります。返事が来ないなんてよくあることです。
ただ選手と支援者・所属企業とのコラボリターンの設定や、依頼先のアタックリストを作るなど、有効な施策は戦略的にやりました。

集めた資金はどのように使う予定ですか?

ユニフォーム、プロモーション動画、ホームページの制作費に充てます。あとはライブ配信費用でこれは来シーズン以降も必要になります。その他はSNSの広告運用などに充てる予定です。
実はそんなに自由に使えるお金はなくて、来季の運転資金も考えなければならないので、クラウドファンディング終了後も自分はスポンサー営業を積極的にやっていく予定です。
一応自分が顔になってやっている分、一番熱く話せると思うのでどんどん仕掛けていきます。

競技一本でいいのか?玉置氏のプロ論と日本でセパタクローの試合が満員になる日。

リーグが盛り上がればプロセパタクロー選手も生まれる日も近いですね。

ES LEAGUEは将来的には賞金などを設定して夢のある場所にはしたいと思っていますが、実は自分は完全プロ化に賛成ではないというのが本音です。
プロ選手が競技一本になってしまう分、昨今日本ではアスリートのセカンドキャリアやデュアルキャリアという話題が騒がれるようになりました。
でも自分は仕事や家庭を持ちながらやる大変さがあるからこそ、日本人には他国にない覚悟があるとも思っています。
もちろんタイなどのセパタクロー先進国では競技だけで生活できるように選手たちは本気でやっていますが、日本はいろいろな事情がある中でもやって、選手自身で大会も作って、というのがあるから、それだけの熱量を持て取り組めているんじゃないかと。

もちろん組織としての選手の雇用は考えています。リーグにお金を払う体力があればスタッフを雇って、それが選手でもいいと思っています。
ただそれをプロと呼ぶのかは分かりません。でも自分自身、大学卒業からセパタクローで食べていくことを考え、プロの定義を考え続けてきました。
世間一般に言うところの競技一本でやっている選手が必ずしもプロではないと自分は思います。

最後にES LEAGUEの目標と、日本セパタクロー界の展望を教えてください。

僕らは2026年に名古屋で自国開催するアジア大会の会場を満員にし、金メダルを獲得することを目指しています。
そのためにES LEAGUEを通して自分たちの価値を高め、発信し、セパタクローを盛り上げていきたいと思っています。
僕らは強化だけではなく、競技の普及と市場開拓という3つを同時に大きくしていかないとこの目標は実現できないと考えています。
というのも世界大会でメダルを獲っても知られていない競技はありますし、環境が整っているとは限らないからです。
セパタクローはそうならないようにES LEAGUEでは様々な施策を実行する組織づくりをしていきます。
究極ES LEAGUEはセパタクローのマーケティング会社みたいなものになっていくと思います
その第一歩となるES LEAGUEの開幕戦には300人は集めたいです。
そして2026年のアジア大会の会場を満員にするには直前のリーグ戦で数千人規模に発展させることを目指します。
<2月11日ES LEAGUE開幕戦情報はこちら>

(取材・文・写真:森 大樹)

取材後記

玉置選手とは2019年に知り合い、家が近所というのもあって定期的に交流があります。
彼はその年の日本選手権に知人100人を呼ぶプロジェクトを自主的にしていました。結果40人ほどしか来場してもらえなかったあの大会から2年、今回は一人の力ではないものの、462人もの人から支援を集めています。
転職、リーグ立ち上げに加え、プライベートでは二人目のお子さんの出産も控えながら子育てにも奔走し、彼にとって2021年はまさに激動の1年だったと言えるでしょう。
あまりに多忙すぎて、ストレスから血便が出たとか。。
会社員、リーグ立ち上げ統括、パパ、そして選手として実に四足もの草鞋を履く玉置選手。
数々の苦労話も「すべて成功させて、何年後かには狙ってやったと美談にしたいですね!」とポジティブに取材を締めくくりました。
ちなみに取材から4日後に無事に第二子が誕生。なんと私と同じ誕生日です(笑)
おめでとうございます!

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2月11日開幕戦情報