特集2022.06.16

【陸上物語FILE 12 山本聖途】 棒高跳び3大会連続オリンピック出場

プロサッカー選手・本田圭佑氏の事務所に所属!?異色の陸上選手のルーツを辿る!
アスリートの生き様を尋ねて全国を回る「陸上物語」。
12人目のゲストはロンドン・リオ・東京五輪、棒高跳・日本代表の山本聖途選手!

無観客試合で感じた〝応援の力〟

ーーまずは、何よりも東京オリンピックお疲れ様でした。

ありがとうございました。

ーー終わって2ヶ月ほど経ちましたけれど、どうでしたか?

まだまだ世界との差を感じたし(予選敗退)。今までと同じような競技生活を送っていてはダメだなというのをすごく肌で感じました。

ーー会場は無観客。これまでの2大会とは違った雰囲気があったと思いますが、いかがでしたか?

正直に言うと観客がいないというのが寂しい部分ではあったんですけれども、こういう状況ですし。世界中の安全が1番だと思うので仕方ないとは思いますが、何万人と入るスタジアムでもあったわけなので、母国開催のオリンピック、満員の中で跳躍したかったという気持ちはありますね。無観客の試合をやってみて、やっぱり〝応援の力〟はすごいなと感じます。

サッカー少年時代

ーー幼い頃はサッカーを?

そうです!小学校の部活動でサッカーをやっていました。

ーーお父様もお母様も陸上選手だった(父は元短距離選手、母は元跳躍選手)という中、サッカーをやらせてもらえたんですか?

そもそも、通っていた小学校に陸上部というのがなかったんです。でも、中学校にはサッカー部がなくて、陸上部がありました。

ーー中学校にサッカー部があったらサッカーをやっていた?

絶対、サッカー部に入っていました。

ーー山本兄弟の三男坊でいらっしゃって。みんな陸上をやってたのかと思いきや?

兄2人も、もともと野球をやっていたので、そんなことはありませんでした。真ん中の兄は途中から陸上部に入りましたが。

ーー中学校でサッカー部がなかったから…?

…(サッカー部がなかったから)渋々、陸上部に入って(笑)。もともと、走るのは好きだったんですが。当時、体力テストで50mや100mのタイムを測るんですけれど、めちゃめちゃ遅かったんです。だけど、1000mはまあまあ速かった。なので、初めは長距離を選んだのですが、いかんせん、体力がなくて(笑)。1000mはそこそこ速かったけれど、それ以上の距離にはついていけませんでした。当時、駅伝部にも入っていたんですけれど、1周200mのグラウンドを15周から20周走るんですね。同じ景色じゃないですか、ずっと。まるで、新東名の高速の静岡を通過する地点をずっと走っているような感覚でした(笑)。

棒高跳びとの出会い

『これはダメだ、僕には向いていない』というのをずっと感じていて。後に進学先の高校の先生に『棒高跳びをやってみろ』と勧められたのがきっかけで、跳躍に転向しました。当時、岡崎城西高校で長距離の記録会がよく行われていて、僕らの中学校も参加するので、よく来させてもらっていたんですね。中学2年生の夏、その時、僕はプレハブの中にいて(笑)。

僕が走るレースはもう始まっているんですけれど、暑いし、走りたくないしで…(笑)。そうしていると、高校の先生がプレハブの中に来たんですよね。『うわ、やばい』と思って、咄嗟に、足首を回して…(笑)。

ーーまあまあ素行悪いですよね(笑)。

はい(笑)。で、『どうしたんだ?』と聞かれて、『ちょっと足首の奥の奥が痛くて』と答えんたんです。本当は絶好調だったんですけど(笑)。そうしたら、『お、そうか。じゃあ走れないな。じゃあ、明日からは棒高跳びをやってみろ』という流れになって。なんでか分からないんですけれど(笑)。

ーーええ?!

とりあえず返事したものの、『棒高跳びってなんだ?』となって。その種目を知らなかったわけですから。『とりあえず、明日から練習に来い』と言われて、次の日から高跳びの練習を始めました。

抱いた憧れ、練習にのめり込んだ日々

ーーまだ頭の中は「?」ですよね?

初めて高跳びの練習に来た時に、高校の先輩が4m50㎝跳んでいて。5m近くのバーを、人間が棒を曲げて超えているのを初めて見たものだから、『うわ、なんだ!めっちゃかっこいい!』と。僕もああなりたいと憧れを抱いて、どんどんのめり込んでいきましたね。

ーー中学を卒業したら、この高校に自然と通うようになって、メキメキ記録を伸ばしていかれるわけですが、棒高跳びって最初は全然できないと思うんです。どうやってできるようになったんですか?

最初は、なかなか棒高跳びのピットにすら入らせてもらえません。最初は〝棒を持って走る〟というところからスタートします。うまく走れるようになったら、〝棒を使って踏み切る〟練習をする。それも、初めは棒高跳びのピットではなく、走り高跳びのピットで、砂場で体を向こう側にいかせる練習から始めます。それが上手くできるようになったら、ようやくじゃ〝棒高跳びでやってみようか〟という段階になるわけです。そこに至るまでに、2〜3ヶ月かかった記憶がありますね。先輩が隣でバンバン跳んでいるなか、僕は棒を持って走ったり、砂場でザクッと刺したり、体を向こうに行かせる練習をしたり…。当時は、早く跳びたいという気持ちがあったんですが、今思えば、基本的なことを最初にしっかり学ばせてもらったので、それが良かったのかなって思いますね。

ーー砂場の上で3ヶ月。ようやく跳んだ1本目って覚えています?

覚えていますね。僕、最初はボックスに棒を刺せなかったんです。

ーー練習するうちに刺せるようになってくるものなんでしょうか。1番最初に超えたバーの高さって覚えていますか?

1番最初に超えたのは2m50cmですね。でも、初めて出た大会は2m30cmのバーだったんですけれど…バーの下を跳んでいるのに、自分ではバーを超えたと勘違いしてガッツポーズをしたことがありました(笑)。『っしゃ、跳んだ!』と思って。でも、先生たちをみると何か様子がおかしい(笑)。審判を見ても赤旗なんです。後でビデオを見たら…『それは赤旗だな』と。すごく恥ずかしかったです(笑)。

棒高跳びを〝掴んだ〟瞬間

ーー最初は3mも満たないバーを超えられた喜びから始まって、高校でメキメキと成長していくなかで、だんだんと感覚を掴んできたという実感があるわけですね?

ありますね。そもそも、最初から棒高跳びのポールを曲げることってすごく難しいことなんです。最初は、棒の低いところを持って、とにかくマットの上まで行って。そして、バーを超えるというところから始まるので。それが、だんだん慣れてきて、助走の距離が伸びてきたり、歩数が伸びてきたりしてスピードがあがってくる分、ポールを曲げることもできるようになってくるわけです。その辺りからですね、楽しくなってくるのは。棒が曲がった時の喜びはすごく嬉しかったです。『うわ、棒高跳びっぽくなってきた!』と思って、めちゃくちゃ嬉しかったです。

ーー素人が見ても、すごく〝科学のスポーツ〟だと感じるんです。〝力学〟だな、と。ある選手も、『山本選手はすごく頭を使える賢い選手だ』とおっしゃっていました。やはり、頭を使って競技をされていますか?

使いますね。実際の試合の時って、8本ぐらいポールを用意するんです。8本それぞれ、長さも違えば硬さも違う。1本1本、その日の自分のコンディションだったり、風の状況を考えて、ポールを選択するんですよ。『今、この状況だから、この硬さのポールが今の自分のコンディションに合うな』なんてことを考えて、臨機応変に対応しないといけない部分があるので、頭は使っていると思います。

〝人〟ではなく〝記録〟を超える


ーー棒高跳びをやっている中で、目標にしていた選手や(実力で)超えなければいけないと思っていた選手はいたんですか?

僕の中に、そういう選手はいませんでした。『あの選手みたいになりたい!』とか、そういうのは感じたことがないんです。誰かに憧れるとか…『それって、(憧れている時点で、既に)その選手に勝てないんじゃないか』とか、そういうふうに考えてしまうので。

ーー奇しくもこの度、長い選手人生に終止符を打たれた澤野大地さんが引退されて、以前、澤野選手は日本記録(5m83cm)をお持ちだったということで。『澤野を超えるのは山本じゃないか?』という周囲からの見方もあったかと思います。そういった雑音などは気にならず?

考えたことがないですね。日本記録(山本選手の自己ベストは5m77cm)を超えるということ自体は僕の課題でもありますし、世界で戦うのであれば、必然的にその記録は超えなけ
ればいけない高さでもあります。自分自身にとって、〝日本記録更新〟ということに関しては〝必須〟ですね。

オリンピックへの切符を掴んだ、〝学生記録更新〟

ーーその前の段階で、学生記録を塗り替えられたんですよね。

中学2年生で棒高跳びを始めて、一気に好きになって、すごく楽しくて。とにかく楽しいという気持ち一つでやってきたことなので、自己ベストを出したらどうこうっていうよりも、とにかく嬉しかったです。オリンピックに出られるとか、世界ではこれくらいのレベルだとか、その時は考えなかったですね。とにかく、嬉しかった。

ーー好きなことを一生懸命やって、結果が出るのが純粋に嬉しい?

はい。そうですね。

ーーロンドンオリンピック出場が決まった時は、さすがに『オリンピック選手だ!』という思いにはなりませんでしたか?

僕は『俺はオリンピック選手だ!』とか、あんまりそういうことを感じたことがないんですよね。もっと自覚を持て、という意見もあるかもしれませんが。

目先の目標を〝確実にクリア〟していく

ーー何を目標に毎日頑張っていらっしゃるんでしょうか?

次のパリオリンピックに向けて(頑張る)だとか、そういう目標はあります、ですが、常に目先の目標を、まずは確実にクリアしていくことが好きなんです。『今週はこういうトレーニングをするから、このトレーニングで自己ベストを出す!』とか、『これくらいのタイムで走るぞ!』とか、そういうのが好きなので。そして、その練習で(目標を)達成できなかったら、『なんで達成できなかったんだろう?』と、自分の中で疑問を解いていくっていうのが好きです。

ーー〝パリオリンピック〟という大きな目標を前に、細かくステップアップできるようなカリキュラムを自分で組んで、目の前のことから、一つずつやっていく。これって、スポーツや陸上に関わらず、すごく大切な要素だと思うんですけれど、そういう考えはもともとお持ちだったんですか?

昔からですね。棒高跳びを始めた時からそうだったかもしれません。高校の先生も『自分に何が必要だと思う?』ということを自分で考えさせるような指導方法だったんですよね。とにかく、その時から『上手くなるためにはどうしたらいいんだろう』とか、『強くなるためにはどうしたらいいんだろう』とか、そういうのはすごく考えていましたね。先生のそういう教えがあって、今、こういう考え方になったんだと思います。

ーー直近のご自身の課題はありますか?

大きな課題として、海外で戦うための技術を培ったり、体作りをしなければいけません。この冬で、その課題をクリアにしていきたい。11月にはしっかりと体を作って、まずは〝怪我をしない体づくり〟をしていきたい。

世界で戦うための秘策

ーー今までと同じことをやっていては現状を打破できないし、世界でも戦えないという中で、〝秘策〟はあるんですか?

僕、ずっと日本を拠点に活動をしてきたので、今後は海外を拠点に活動をしていこうかなと考えているんです。

ーーどこですか?

フランスです。

ーーいつからですか?

12月から3ヶ月です。まずは、合宿という形でフランスまで行かせてもらって、来年の日本選手権が終わったあたりから、7月くらいにはもう、フランスに拠点を移して、活動をしていこうかと考えています。

ーーこれは…大きなチャレンジですね!

そうですね。どういう状況であれ、必ずプラスにはなると思うので。

ーー当然、3年後のパリを見据えた上でもフランスで過ごすというのは、すごくいい環境のように感じます。

何もかもが新しく、刺激になると思うので、毎日が勉強だと思っています。

ーーご自身の自己ベストが今、5m77cm。具体的な目標の数字はありますか?

前提として、パリオリンピックでのメダル獲得を目標としているので、できれば6m。最低でも5m90cmは必要だと思うので、そのあたりのラインはしっかりと達成したいです。

大ファン本田圭佑さんと同じ事務所に所属!?

ーー本田圭佑さんと事務所が同じ?

はい、所属させてもらっています。

ーーそれは、どういうことなんですか?

僕、本田圭佑さんがめちゃくちゃ好きで…もともとファンだったんですよ。(本田さんと)少し似てるといわれたこともあって…(笑)。(本田さんが)事務所を立ち上げているというのも知っていましたし、当時、ちょうど僕も事務所を探しているタイミングだったんです。大学の先輩で、ちょうどHONDA ESTILO(本田圭佑さんの事務所)で仕事をしていた先輩がいまして。コンタクトを取ってみたら、『今アメリカにいる』と。ちょうどその頃、僕もアメリカにいたんです。僕はロサンゼルスにいて、その先輩がサンディエゴにいたので、『僕はこういうことをしてもらいたい』とか、『こういうことができるよ』とか、そういう話をさせてもらって。それを聞いた先輩に『圭佑さんに話をしておく』と言われて。それから、1年半ぐらいですかね、所属が決まったのは。事務所に入るまで時間はかかりましたが、あの本田圭佑さんの事務所にまさか自分がとは…。

ーー所属が決まった時とオリンピックが決まった時とを比べると?

同じくらいですね!駐車場でその連絡を待っていたんですが、一人で叫びました。『よっしゃーーー!!!!』って(笑)。

メダル獲得への思い

2024Parisメダル獲得〟です。

ーーただパリ(オリンピック)に出るだけではなく、〝メダル獲得〟ですか!

メダルです。ここはもう、僕の人生をかけて…覚悟を決めてフランスに行くということもあるので。何が何でも、メダルを獲得したいと思います。

ーーそして、山本選手のサインにある〝6〟というのは?

これは6mの〝6〟を意味しています。

ーーパリで力をつけて、6mジャンパーに。イメージはできていますか?

イメージというのはすごく大事なんですよね。もともと、イメージから跳躍を作り上げていくスタイルでもあるので。イメージづくりは、大の得意分野でして(笑)。イメージをしっかり作って、フランスまで行きたいなと思います。

ーー4大会連続でオリンピック出場となると、もしかしたら…。

…もしかしたら、〝陸上界の吉田沙保里選手〟になれるかもしれない!

――…でも、出場回数云々ではないんですよね?

何大会出るとか、そういうのじゃないですね。

ーーなんとなく、山本ワールドが見えてきた気がします。これからも末永くお付き合いさせていただいて、奥深くまで聞かせてください!

謎が深まるばかりだと思います(笑)。

陸上物語の情報はこちら!

五輪選手が実演!棒高跳のやり方【山本聖途】【前編】

重大発表!パリでメダルを獲るために◯◯します【山本聖途】【後編】

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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。