特集2022.02.18

【陸上物語FILE 3 壹岐あいこ選手】 「最速姉妹」で紡いだ陸上物語

アスリートの生き様を尋ねて全国を回る「陸上物語」。 
3人目のゲストは日本を代表する女子大学生スプリンター、滋賀県大津市出身の壹岐あいこ(いきあいこ)選手20歳です。現在、立命館大学3年生。昨年6月の東京オリンピックの代表選考会を兼ねた日本選手権では、女子100mで見事2位となり、初めて日本選手権の表彰台に上りました。東京オリンピック女子4×100mリレーのメンバーにも選ばれ、今伸び盛りの真っ只中です!更なる高みを目指す壹岐選手の陸上物語を伺いました。

日本インカレへの意気込み

ーー今回のゲストは立命館大学陸上競技部 主に100m、200mでご活躍されております 壹岐あいこ選手です。(日本インカレ2021年9月17日~19日収録日 2021年9月9日)
前半シーズンは「日本シーズン」に照準を合わせていて後半シーズンは「日本インカレ」に合わせていてるので、後悔なくしっかり準備していきたいと思っています。

ーー壹岐選手の中でも日本インカレは大きな位置付けでしょうか?
そうですね。学生の大会の中で1番大きい大会なので「力を入れたいな」と思う大会の1つです。

ーー出場されるのが100mと200mと?
4×100mリレーに出場させてもらいます。

ーーずばり目指すところは?
100m、200m、リレー、「3冠したい」と、思っていますし、それが目標です。難しいけれど、頑張ります。

ーーこの動画を配信する頃にはインカレは終わっているので、結果を載せます本当に頑張ってください!
頑張ります!

競技名 _クライアント名_通し番号

陸上競技を始めたきっかけ

ーーさて、そんな壹岐選手の陸上物語ですけれど陸上競技を始めたのはいつ頃ですか?
小学5年生の頃から始めました。

ーーきっかけがあったのでしょうか?
小学校で運動会があったり、マラソン大会があったんですけれど。マラソン大会だと学年の中だったら1番を獲れるんですけれど、逆に短距離の方がいつも2番で、それが「悔しい」という気持ちになって、それで陸上競技を始めました。

ーー壹岐選手以上の子がいたんですか?滋賀県大津市の田上小学校の中に。
滋賀県大津市の田上小学校の中に。負けたくなくて始めました。

陸上クラブに通う小学時代

ーー小学5年生で陸上を始めると言うと、どういうことをやるんですか?
大津市の陸上クラブ(琵琶湖ランナーズクラブ)があって、練習が週1であったんですけれど、アップで鬼ごっこをしていました。陸上の基本みたいなアップを教えてもらったり、リレーのバトンを教えてもらったり。がっつりトレーニングはしていないですけれど。

ーー学校の体育の時間より、もちろん高いレベルでの練習。かつ、陸上競技を楽しむ。というような練習でしょうか?
そうですね。

ーーてっきり、お姉さんのいちこ選手の影響で、始められたのかなと思っていました。
ちょっとはあると思います。

ーー何歳差ですか?
3つ違いです。

ーーあいこ選手が小学5年生の時は、お姉さんのいちこ選手は中学2年生。お姉さんが陸上で活躍されているのを当然見ていたわけじゃないですか、どういうお気持ちでしたか
確かに。結構影響あったと思います。
やっぱり姉が活躍をしていて、私も走る以外のことで特に得意なことが無かったので、姉を見て、陸上を始めたいな。とは思っていたと思います。

ーー「これだけは負けへんぞ!」と。
はい!

ーー小学校5年生の時は50m走何秒くらいでしたか?
多分8秒台だと思います。7秒台はいってないかな。

ーーもっと早い子もいますよね?
小学校の頃は全然。その陸上クラブの中でも負けていました。

ーー結論から言いますと、中学3年生の時の全日本中学陸上で、当時の中学歴代7位の記録(200m=24秒5)で優勝。「日本一の中学生」になった選手の小学生の時は50m=8秒台。
100mだと14~15秒です。

ーー何がどう成長して変わっていったんですか?
んー。私は中学校を地元の田上中学校ではなく、その隣の南郷中学校に入学したんです。その理由が、姉が地元の中学校に通っていて、その顧問の先生が異動されて、私が入学した中学校に異動されたんです。その先生との出会いは陸上人生の中で大きいなと思います。

恩師との出会い

ーーその先生との出会いが大きかった?
大きいですね。

ーーどんなところが大きかったですか?
パワフルな先生で、一緒に走ってくれたり、熱心に「自分を強くして下さる指導を」凄くして下さったり、それが自分の陸上人生に大きく影響しているなと思います。

ーーこれをその先生が聞いて下さっていたら、喜ばれると思うので、何中学校の先生ですか?
当時は南郷中学校の川那辺先生と天野先生です。

ーー2人いらっしゃったんですね。
川那辺先生が短距離で。天野先生が長距離でパワフル熱心な先生でした。めちゃくちゃ走りました中学。凄く走りました。練習量は多かったと思います。

ーー具体的に言うとどれくらい?
土曜日だと4時間練習をして、9時から13時で練習があって。今だとあまり考えられない感じですね。今、大学だと、練習が2時間半とかなので。平日は下校時間があるので、2時間とかだったんですけれど、筋トレとか最初の体作りをしたりメディシンボールを投げたり、ミニハードルを飛んだりとか、鉄棒、そういうのをやってから、走る練習でした。

ーーそのへんの公立中学校ではないくらいスポーツ化学がしっかりと?
陸上部は強化強化という感じだったかもしれないです。

刺激を受けた先輩の存在

ーー先輩で活躍されている方はいらっしゃいましたか?
1つ上の先輩で中学2年生の時に、全中で、4×100mリレー優勝したんですけれど、その時の1学年上の先輩で一緒にリレーを組んでいた先輩が一緒に全中にいったり、個人種目で一緒にいったりした先輩でした。

ーーなんという先輩ですか?
前田瞳先輩と、阪田桜先輩です。

ーー身近に全国で戦える先輩がいるというのは、1つモチベーションになりましたか?
めちゃくちゃモチベーションになりましたし、優しかったので、凄くチームワークが良かったなと思います。

切磋琢磨したリレーチーム

ーーリレーというのは特別ですか?
特別です。ずっと、中学、高校、大学もリレーを軸に短距離をやっている感じなので。

ーーそれってみなさんそうなんですか?
そういう人もいるかなと思うんですけれど、中学、高校、大学と日本一を目指せるチームにいるというのは貴重だったなと思います。

インターハイ優勝

ーーそれだけ身近にレベルの高い選手がいて、一緒に切磋琢磨して、時にはチームメイトしとてリレーで挑む。その中学、高校、大学の話ですけれど、地元の中学を出て、京都橘高校、高校時代を振り返って、1番印象に残っていることはどんなことですか?
高校3年生のインターハイ(三重)ですかね。

ーー優勝(200m)!
優勝。と4継(4×100m)、マイル(4×400mリレー)も入賞、それが1番印象的です。

不安と戦い続けた高校生時代

ーー高校3年生で3年ぶりに日本1になったんですよね?当然、体格の差も出てきますし、高校生になると 色々なレベルの高い選手との遭遇もあると思いますがその2年間ってどんな時期だったんですか?
やっぱり中学3年生で優勝をして、プレッシャーがめちゃくちゃあったわけではないけれど、自分がもし、高校で全国にもう通用しない選手になったらどうしようというのはありました。

ーー注目されているのは分かっているしみなさんの期待に応えなきゃという思いですか?あ、壹岐あいこ中学で終わったな、この選手終わったな。と思われるのはすごく辛いというか。嫌やなあと思って。それがちょっと不安でした。

ーートップアスリートの方にこんな質問するのは大変恐縮ですが、笑顔の裏腹ちょっとネガティブです?
めちゃくちゃネガティブで、すごく不安症というか、心配症です。

ーー心配症というのは悪いことばかりではなくて、だから、頑張って練習が出来る
まだ危機感を持っているところは良いのかな?と、思います。

トップアスリートに必要な要素

ーー同郷の桐生選手はその辺りどうですか?
桐生さんはずっとトップで走っているので本当にすごいなと思います。毎年トップで走り続けるのって、早いだけじゃなくて、強さも必要になってくるので、私にはそこが足りていないところだなと思います。

ーー強さとはどういう?
メンタルも必要だなと思います。私は結構、周りを気にしてしまうので、周りが速かったら焦ったり、怪我をしたら焦ったり、焦りまくるというか。やるべきことをしっかりとやる選手、継続できる選手ってすごいと思うので、そこがまだまだ、自分には足りないなと思います。

名門 立命館大学へ

ーーそこが自分の課題と思われているのが素晴らしいと思います。大学は立命館大学に入られて、ここでもすぐには結果が出なかった?
大学1年生の時は、環境の変化なのか、それでだいぶ苦しみました。どれだけ頑張っても12秒(100m)高校3年生の時は23秒7(200m)で走れていたのにどんなに頑張っても24秒5でしか走れなかった。

質問コーナー

ーー聞きたいことをこの箱いっぱいにまとめてきました。陸上のことからそうじゃ無いことまで。答えたく 無いものは答えなくて大丈夫です。3つ引いてください。では、1つずつ、質問を読んでいただけますか?

Q.あなたはパソコンが得意である?


ーーこの情報いるか?
タイピングは得意です!得意というか速いと思います!小学5年生の時に週に1回クラブ活動があって、パソコンクラブに入っていました。それで「キーボー島アドベンチャー」って言うゲームがあって、それで鍛えました。

ーーこの質問聞いて良かったですよ。
まさかのパソコンクラブ!陸上クラブとパソコンクラブに?
陸上は学校外の活動で、学校内の活動で、パソコンクラブに入っていました。

ーーYouTubeとかも将来、自分で?
そこまでは全然出来ないです。タイピングだけです本当に。その他は出来ないです。動画編集とか、そういうのは難しいです。

ーーやらなくていいです。競技を頑張ってください!では2つ目。

Q2この人には負けたくないというライバルがいる?

ーーこれは聞いてみたいですね。
います。立命館大学の同期の臼井文香。“あやねぴ”には負けたくないなと思います。

ーー満面の笑みでそうおっしゃっていますけれど?

凄いセンスのある子で、才能を持っている子なので、負けたくないですね。中学からずっとライバルです。まさか大学で一緒になって一緒のチームでやっていることが楽しい反面、緊張感を持って練習もできるので凄い良い同期、良いライバルって感じです。
ーーでは3つ目を!

Q3陸上以外で今、はまっていることがある?

韓ドラを見ることですかね。Netflixで韓国ドラマを見ることにハマっています。

ーーおすすめのドラマは?
「ピノキオ」っていう韓国ドラマです。私が見た韓国ドラマの中で1番良かったです。復讐&恋愛もの。

ーーレースに出場します。テレビで放送されます。よくスタート前に映像が抜かれるじゃないですか?あれはどんなお気持ちなんですか?
私は凄く顔が怖いタイプだと思うんですよ。あまり笑顔も試合前というかレース前には見せられない。

ーーいつも思うんですよ選手は集中したいはずなのに、カメラ向けると笑わないといけなくなる。集中させて!って感じなんですか?
もう選手紹介でカメラが来るのは結構慣れたので、そこはもうそんなに気にならないです。

ーー私も今日積極的に聞いた訳ではないですけれど、世間では「壹岐姉妹」と言われる。お姉さんとセットなところがあったと思うんですが、これに関して正直どうですか?
嫌な思いとかは全然ないですね。でも、グランプリの大会や日本選手権で一緒の組、横のレーン、一緒の組はまだ分かるんですけれど、横のレーンはちょっと、、、。ルーレットみたいな感じで決まってしまうので仕方がないんですけれど、いつもスタートリストが出た時はお姉ちゃんと「ああ、また横、嫌やねえ」って。

ーーまたそんな動画がYoutubeに上がってもうたら、回るんですよね。すいません、しょうもない話をたくさん聞きました。

名門 立命館大学へ進学した理由

ーー大学選びはどういう基準で?
立命館大学はお姉ちゃんがいるから、壹岐あいこはお姉ちゃんと一緒のところに行くだろう、、、という訳ではなく。他の大学も迷っていましたし、体験も行かせてもらったんですけれど、立命館は同期も、速い子が入って来るというのを知っていたし、先輩でも速い方がおられるので、今だと塩見綾乃さん(800m日本代表)とか。卒業された田中佑美さん(100m ハードル/富士通)、姉の壹岐いちこ(短距離/ユテック)、世界で通用する選手もたくさんいますし、その中で練習をしたいなと思ったのと、自宅から通えるのは大きいなと。

ーー今も家から?寮じゃなくて?それは大きいですね。
それで立命館大学にしました。

苦しい時期からのブレイクスルー

ーー先ほど大学1年生の苦しい時期、ブレイクスルーできたきっかけはなんだったんでしょうか?
大学1年生の頃は走れない自分が恥ずかしいというか、走れていないなっていろんな人に思われているんやろうなって、大学に入ったら苦しむんやろうなって思われているんやろうなあって。それが自分の中で変なプライドになっていたんですけれど、大学2年生に上がって、コロナ禍で練習がみんな出来なくなった時に、試合が無くなったりしたんですよ。その時に気楽に練習はできたなあ、それが自分には良かったなと思います。

ーーご本人が自分のことを1番よくお分かりだと思うんですけれど、周囲の目を気にする。自分へのプレッシャーを強く与えるタイプの方だからこそ。コロナ禍が不幸中の幸いか1回周りの目なんて気にせずにリラックスしてやってみようという中で、100m(11秒59)、200m(23秒71)で自己ベスト更新。記録が出たとき、どんな思いでしたか?

私のベストが100m11秒80だったんですけれど、大学2年生の8月末のアスリートナイトゲームズ福井2020で11秒62の約0.2秒の自己ベストの更新で凄いびっくりしました。こんなにいきなり出るんだあ、、、。でもそこから11秒6というのはコンスタントに出せるようになったので殻が破れたと思っています。

変わり始めたマインド

ーーそこをご本人の言葉で解説していただけるのであれば、今記録に伸び悩んでいる方々に凄く参考になると思うんですけれど、やっぱり分からない感じなんですか?いきなり伸びた感じ?
いやでも、福井の一個前の大会で12秒0とかでしか走れなくて、その時に立命館大学の小谷優介コーチと話して、今までで1番悔しいんじゃないかっていうぐらい悔しい気持ちになってそこで燃えました。ちゃんと頑張らなあかんし、継続していかないといけないという心が変わったというか。練習に対する思いが変わったと思います。

ーー練習量が増えた?質が上がった?
質は上がったかなと思います。考えて練習ができるようになったかなと思います。

ーータイムが速いだけじゃなくて強さ?心の強さだったり競技に向き合う集中力というところが陸上競技には問われるんですかね?
そうですね。集中力は大切だなと思います。

東京オリンピックリレーメンバーに選出

ーーリレーを中心に短距離をやっているその一つの大きな結果として補欠としてではありますが、この度の東京オリンピック選出された時のお気持ちはどうでしたか?
東京オリンピックに選出、関われるとは思っていなかったので、関われることは嬉しいって思いました。でも実際に行ってみると、嬉しいだけじゃなくて、悔しいって気持ちにもなれたので。悔しい気持ちになれているというのは、嬉しい気持ちにもなりました。

ーーしかも今シーズン日本選手権でも肩を並べるぐらいのタイムの選手が方やあのオリンピックの舞台に立った訳じゃないですか。自分とタイムの差がない選手。その辺りもありました?
走りたい気持ちもあったんですけれど、オリンピックメンバーの選考基準に満たしていなかったので、そこは割りきってサポートに回って、私は次の大会、世界陸上であったりアジア大会、ユニバシード、来年行われる大会に自分も出場できるようにこの経験を頑張ろうっていう気持ちになりました。

ーー全然ネガティブじゃなくて前向きですね
割り切れました東京オリンピックの時は。走りたい気持ちもあったんですけれど、私は世界大会系の帯同が初めてだったので、今後に活かせる良い経験だなと思って、帯同させてもらいましたし、実際、本当に良い経験になったので、この経験を活かしたいなって本当に思いました。

ーーちなみにレースはどこで見ていたのですか?
リレーの2走のところです、競技場のバックスタンド

ーートラックに立ちたいという思いがね?
そうですね。走りたいという気持ちと共に、日本新記録を出して欲しいという気持ちも半々でありました。

ーー世界への挑戦権、そして舞台はコンスタントにあると思うんですけれど、見据える先、3年後のパリはどうですか?
東京オリンピックに帯同して、リレーだったらアジアの中国が4継で決勝進出しているのを直近で見て。日本の女子短距離も、全然世界で戦えるなと肌で感じることができたので、自分もパリで出場できる選手になりたいと思いました。

ーーその辺りも含めてですが色紙を。

パリオリンピックに出場することが目標です。

ーー種目は?
狙える種目が2024年の時には何になっているか分からないんですけれど、100m、200m、リレー狙えるなら狙いたいです!

各種SNSなどの情報はこちら

壹岐あいこ選手が所属する 立命館大学陸上競技部HPはこちら!

立命館大学陸上競技部HP
http://ritsumei-tfc.com/

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東京五輪、新国立競技場で見た景色【壹岐あいこ】【後編】

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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。
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