アスリートの生き様を尋ねて全国を回る「陸上物語」。13人目のゲストは「十種競技」のホープ、片山和也選手です。「走る、投げる、跳ぶ」の陸上のあらゆる要素が詰まったこの競技。優勝者は〝キング・オブ・アスリート〟と称えられます。
世界の舞台での活躍を夢見て練習に励む片山選手。一つ一つ目の前の壁を越えていく姿、そして等身大の想いを聞きました。
目次
〝キング・オブ・アスリート 〟十種競技
ーーまず、十種競技についてですが、〝2日間で10種目を行う〟…大変なことですよね。
そうですね。2日間終わった後には、もう筋肉痛だらけで。次の日は歩きたくもないぐらいの感じですね(笑)。
ーー順を追って、1日目の1種目目から教えていただけますか。
はい。1日目①100m②走幅跳③砲丸投げ④走高跳⑤400mです。2日目が、⑥100mハードル⑦円盤投⑧棒高跳⑨やり投げ⑩1500mという流れです。
ーーこの順番というのは、やはり、理にかなった順番なんでしょうか?
この順番以外、無いと思いますね。寧ろ、この順番でないと10種目出来ないくらいだと思います。
ーー10種目の中で、ペース配分はあったりするんですか?
僕にとっては、投てき種目がちょっと休憩気味ですが…。ただ、僕のプレイスタイル上、投てき種目でしっかりと点を取っていきたいので、種目の間合いで栄養をしっかり摂って(次の種目に挑む)、というような感じですね。
ーー栄養というと、どういったものを?
おにぎりを食べたり、カステラとか…甘いものを食べますね。あとは、餡子が入ったお餅とかですかね。〝カロリーをしっかり摂る〟ということを心がけています。
ーースピードとパワーで言うと…〝パワー〟がもち味?
そうですね、パワーがもち味。
ーーでは一方で苦手なものは?
長い距離を走ることですね。1500mとか400mとか…。
ーーそれこそ、10種目の1番最後(の種目が)が1500mじゃないですか!最後の最後(の種目)を走る前って、どんなお気持ちなんですか?
いや、もう本当に…点数的に後ろから追われているわけですが、やり切らないといけない。なので、それなりに追い込まれるんですけれど、スタート前になると『もうやるしかない』と、自分を鼓舞してやっていますね。
ーー〝十種競技=キング・オブ・アスリート 〟などと揶揄されますが、やはり凡人には出来ないですよね。
そうですね、なかなか。〝2日間で2万カロリーを消費する〟とも言われているので。
ーーえ?!でも、人は物を投げたり、跳んだり、走ったりするのに、それぐらいエネルギーを使うということなんですね。
ーー十種競技って(観戦者からすると)とても面白くて楽しませていただけるんですが、いかんせん、(競技者の方からすると)〝ポイント(計算)〟が難しくないですか?
計算式というのがありまして。例えば、100mだったら10秒8とか9っていう数字を入れ込んで計算するんです。
ーーじゃあ、競技をやりながら、(選手の皆さんは)ずっと計算されている?
計算をする人としない人で分かれると思います。
ーー(片山選手は)するほうですか?
僕はあまり気にしないほうですね。〝最低限これくらいの記録は…〟というのは、試合前には出しているんですけれど、その目標から良い悪いっていうのは、気にしないようにしていますね。目先にある、それぞれの種目をしっかり確実にやっていくことだけを心掛けています。
ーー現在の自己ベストが?
7603点です。
ーーこれって相当高い点数だと思うんですが、世界の水準を見ると?
まだ、オリンピックの標準記録にも届かないレベルですね。
ーーというと、オリンピックの標準は?
8350点です。日本記録(8303点/右代啓祐選手)以上の点数ですね。
ーーですから、日本記録を更新しないとオリンピックには出られない?
そうですね。
ーーとても大変な競技ですね…!
空手&ソフトボールで鍛えた少年時代
ーー小学生の時にやっていたスポーツは?
ソフトボールと空手をやっていました。
ーーいかにもパワー系の(ポジションを)?
そうですね。(野球のポジションは)ピッチャーで、空手は〝組み手〟を中心にやっていました。
ーー型ではなく、コンタクトがあるほうの?
型は、練習するのが嫌で嫌で…(笑)。当時は、地味にずっと(型を)やっているのが嫌だったんです(笑)。戦うほうが好きだったんですよね。
ーー筋力の礎はそのときに作られたんでしょうか。
比較的、親にいろんなことをやらせてもらっていたというのも大きいと思います。そこで、前兆ではないですけれど、(きっかけが)あったのかなとは思います。十種競技に辿り着くまでの。
陸上競技との出会い
ーー中学校に入ってからは?
陸上部に入部しました。
ーーそれはまた、どうしてですか?
最初は、野球部に入ろうかと思っていたんですが…。
ーーソフトボールもやっていたし?
はい。野球用の青のアップシューズも買ってもらって、いざ野球部への入部届を書く時になぜか、〝陸上野球部〟と書いて(笑)。
ーーそれはなんでですか?
僕も、なんでなのかはちょっと分からないんですけど(笑)。1つ上の兄が陸上をやっていて、その影響もあったのかなと思っています。
ーーちなみにお兄さんの種目は?
兄は砲丸投と円盤投をしていました。
ーーバリバリの投てき種目ですね!中学の時に陸上を始めて、最初に取り組んだ種目は?
実は、長距離なんですよ。
ーーえ…?
そうなんです(笑)。
ーーこの流れだと、砲丸投や三種競技とかだと思ったいましたが…長距離はご自身が選んで始められたんですか?
それこそ、流れのままといった感じで…。自分で選んだというわけではなかったのですが、(気がつくと)長距離(メンバー)と一緒に練習をしていましたね、勝手に。長距離の先生に引き込まれた感じでした。
ーーでは、そこから四種競技〝混成〟に?
そうですね。当時、学内選考で1500mの出場枠に入れなくて。でも、『四種競技だったら空いているよ』と声を掛けてもらって。それで、四種競技で大会に出場することになり、中国大会まで駒を進めて…。玉野光南高校(岡山)から推薦もいただきました。
ーー先程、長い距離は苦手だと…十種競技でいうと、1日目の400m、2日目の1500mがしんどいとおっしゃっていましたが、陸上を始めた頃は〝長距離〟だったという(笑)。
そうです、そうです(笑)。
ーーどのあたりから〝長い距離が苦手〟という認識に?
高校1年生の時に、疲労骨折をしてしまって。その時に、『お前はちょっと体幹が弱いから、ウェイトトレーニングをしろ』と勧められて。そこから、まるでウエイト場に閉じ込められているかのように、ひたすらウエイトトレーニングをしていたら、ひと冬で15キロほど体重が増えたんです。
ーー高校1年生で?
高校1年生から、2年生にかけて(の冬)。
ーー何キロから何キロまで?
54キロから70キロくらいですね。(高校2年生の)春に、体力テストで1000mを走ってみたら、もう全然走れなくて。『なんだこの重い体は』と(笑)。そこから、長距離に苦手意識が芽生えてしまいました。
ーーそこからは、円盤投や砲丸投、やり投とか(を始めようと)はならなかった?
実は、高校1年生の時の新人戦で、学内で出場できる種目がなくて。そこで、たまたま円盤投が空いていたので、出させてもらって。すると、県大会で3位に入賞し、その後の中国大会では5位以内に入り…。そこから、投てき(選手のメンバー)と一緒に練習をするようになって、八種競技もやるようになったんです。円盤投とやり投と八種競技をメインで。
ーーいや…面白いですね!
インターハイ出場!しかし…
ーー高校時代、抱いていた目標は?
当初、〝(3年間通じて)インターハイへの出場〟というのを目標としていたんですが、2年生の時に出場できてしまって。上手いこと、ポンポンポンと(笑)。そこで、『3年生の年に勝負を懸けよう』と覚悟を決めて、インターハイ入賞を目標に掲げたんですが、結果は11位でした。入賞できなかったので、そこからは、『大学に行って頑張るしかない』ということで、大学に進学して、十種競技を続けることになったんです。
リベンジを誓い、中京大学へ
ーー前回のゲスト山本聖途選手と同じ中京大学。(高校時代の)岡山を経て、(大学進学で)愛知に渡った経緯は?
高校の2個上の先輩が中京大学に進学されていて、『お前も来い』と誘いを受けて。僕も『そこ(中京大学)に進学して、しっかりやらせてもらいます!』と、進学を決めました。
膨大な量の練習を『どうやったらこなせるのかな』というのを考えて、4年間走り抜けました。(大学)1.2年生の時は、目の前の日々の練習をこなすことで精一杯でしたね。
陸上人生を変えた日本選手権
ーー大学での猛練習を乗り越えて…そんな片山選手にとって、1番印象的な大会やシーンはなんでしょう?
大学3年生の時に初めて出場した日本選手権ですかね。日本選手権に出場した当時は、標準記録をギリギリ切って出場しまして。本当に、〝挑戦者〟という立場で出させてもらったんですが、1種目目の100mから〝(自己)ベスト〟で始まって…(笑)。僕、結構お調子者なので…(笑)。
ーーそうなんですか(笑)!
そうなんです(笑)。初出場の日本選手権大会、1種目めの100mでベストが出たものだから、『もう、どんどん行っちゃえ!』って(笑)。結局、その年、日本選手権だけで7種目もベストを出して。自己ベストを300点更新して、日本選手権〝初出場で初入賞〟させていただきました。
ーーすごい!
そこから、ちょっとずつ陸上人生が変わったのかなと思いますね。
ーー片山選手にとって〝十種競技〟ってなんですか?
僕自身を表現できる〝最適〟のスポーツだと思っています。走るだけ、跳ぶだけ、投げるだけの〝単品種目〟では、何も勝負が出来ないんですよ。日本選手権にも出られないし。ただ、それが10個集まれば、日本選手権でも勝負が出来る。僕が生きていく中で、なくてはならない競技だと思っています。
ーー去年の日本選手権では4位に入賞、目指すは日本一、そして世界へといったところだと思います。4位入賞成績を残した日本選手権を振り返ってみて、いつもとは何か違いましたか?
自分の中で『こうしたらいいんじゃないか』っていうのがすごく出てきて。しかも、それを実践してみたら、6種目でベストが出たんです。7400点から7600点に上がって、200点も更新しました。やろうと思ったことが、全てできた感じでしたね。
パリオリンピックへの〝8000点〟
ーー3年後、目指すはパリオリンピックだと思いますが…。
パリオリンピックを目指すと言うよりも、一つ一つ、目の前にある目標を達成していった先に、〝パリオリンピック出場〟というものが見えてくると思うんです。(パリオリンピック出場は)まだ夢みたいなものなので、僕の点数からすると。なので、少しでも出場に近づくためには、目の前の〝8000点到達〟とかっていう目標を、確実に、一つずつ消化していくことが大事だと思っています。
ーーご自身のホームページで掲載されていた〝8000点を取るために、あと何の種目が何点足りないか〟を換算されていたものを見ました。あれ、すごく面白いですね!
本当ですか、ありがとうございます!
ーー1つ1つ見ていくと…?
スプリント種目は、ここ最近、少しずつ上がってきています。なので、どちらかというとフィールド種目のほうを、確実に少しずつ上げていって、その上でスプリントが上がってきたら、自分の中での〝理想の8000点〟に近づくと考えています。
ーー今の〝26歳〟という年齢についてはいかがですか?
まだまだこれから(競技が)出来る歳だと思っているので…。3年後、パリオリンピックの時は29歳ですけれど、それまでには来年、再来年と、早いうちに得点を取って、パリオリンピックに少しでも近づけたらいいなと思っています。
ーーただ、競技を続けていくためにはお金が必要ですよね。遠征をするにも、いろんな経費がかかります。そのあたりは、いかがですか?
〝プロ宣言〟で変化した陸上選手生活
今年の3月で今までの所属先を退社させていただいて。そこからは〝プロ宣言〟ということで、スポンサーさんを集めさせていただいている状況です。現在は、鳥城塗装工業さんと、LibeLiさんという会社にサポートしていただいて、『仕事はいいから、しっかり(競技を)やっていってくれ』と背中を押していただきました。今のところ、順調にやらせていただいています。
ーー差し支えなければ、前の会社の退社経緯をお聞きしても?
コロナ禍の関係もあって、年々、『もうちょっと働いてくれ』というのが増えてきて。活動費のほうも、毎年ちょっとずつ下がってきて『この状況で(競技を続けていくのは)厳しいな、練習時間もないな』と。自分の中でそういった気持ちを自覚していた部分もあったので、『今年いっぱいで退社させていただきます』と、早めに伝えさせてもらいました。その後、企業にまた勤めるとなると、今もコロナ禍の状況が続いているので、同じことになりかねないなと。そこで、少しずつ〝プロ化〟という、日本ではまだあまり馴染みがないかもしれませんが…そういった方向を選ばせてもらいました。前の会社はフルタイムで働いて(から練習)…という感じだったので、練習時間も三分の一ぐらいになってしまっていて。自分が陸上を続けていく上で、(練習時間というのは)削れないところなので、早めの決断をさせてもらいました。
ーー〝陸上を諦める〟という選択肢は?
今年の日本選手権を終えて、スポンサーさんが集まらなかったら引退しようかとも考えたんですけれど…先程お話した2社のスポンサーさんに助けられて。今年からしっかりサポートしていただけることになったので、少しでもいい順位を取って、恩を返せたらなと思っています。
ーー応援してくれる人が1人もいなかったら、到底続けられないですよね。そんな不安の中、(2社が)声を掛けて下さった。これまで以上に自分のためだけではないという気持ちが強くなったのでは?
そうですね。
ーー片山選手のみならず、〝東京2020までは応援する〟という企業がたくさんあった状況で、アスリートの方々も『これからどうやって競技を続けていこうか』っていう状況の中、(片山選手は)〝プロ宣言〟をされて。今は練習に集中できる環境ですか?
はい。そういった環境をいただいていますね。
十種競技をもっと知ってもらえるように
ーーまずは8000点を目指して、毎日できることを積んでいく。この十種競技が片山選手の頑張りによって、日の目に当たるスポーツになるといいですね。
そうですよね。もっと表に出ていける競技になってきたら(いいなと思う)。十種競技自体、個人種目の日本選手権100mとかがある日本選手権とは別に開催されているんですが、そこも一緒に開催されたらもっと面白くなるんじゃないかと思います。『十種競技も盛り上がっているぞ!』とは思っていますが、世界との差がまだまだあるので。そこは僕もですけど、周りの人とも一緒にレベルを上げていって、少しでも世間の目に留まればと思っています。
山本聖途選手から盗む
ーー投てき種目が自分の強みとおっしゃっていましたが、棒高跳は得意ですか?
棒高跳も自分の中では強みかな、と思っています。ですが、十種競技のトップの記録は5m程というなか、僕は今、4m70cmなので。5mを目指して跳べるようになりたいと思いますね。
ーーそういう意味では、(山本選手は)一緒に練習するお仲間で…。
そうですね。
ーー〝山本聖途選手が身近にいる〟というのはどうですか?
去年も一緒に練習をさせていただいて、盗めるところは少しでも盗んでいくという感じですね。(山本選手は)本当に精度の高い練習をされているので、見ているだけでも練習になるんです。僕が跳躍の練習をしていても、山本さんが跳ぶとなったら、それを見ることも練習になってしまう。ずっと練習をしているような感覚になります。
ーーあえて乱暴な言葉を使いますけれど…〝練習おバカ〟でいらっしゃいますね(笑)?
そうですね(笑)。とにかく陸上が好きで、十種競技が好きで、キツい練習も楽しんでやってしまう。キツい練習ほど楽しんでいる感覚はありますね。キツい練習をキツいと言いながらやっても、本当にキツくなってしまって、次にスタートするのが嫌になる。キツい練習を白おかしくやっていくことで、周りの人も『元気が出てきた!』っていうこともあるので。山本さんにも鼓舞してもらったりすることがあるんですが、お互いがお互いを盛り上げてやろうというところで、去年も4〜5人が集まって一緒に走ったりしました。ムードメーカーとして、山本さんが盛り上げてくれて、その後ろに僕がいる。『みんなで、ワイワイガヤガヤ走っていこうぜ!』っていうムードでやっていますね。
苦しい時こそ、笑って進め
ーー今回、正直な話、片山選手を取材させていただくということで、事前に勉強をさせてもらったら、〝コロナ禍という1つの壁があって、競技を続けていくことが大変なんだ〟ということがわかりまして。どんな苦しい思いでやっているんだろう?と思っていたんですが…終始笑顔で、インタビューをさせていただいている。私まで元気をもらいました。
良かったです!(笑)
ーーそういった表現が、トラックとフィールドで表現された時に、夢の8000点、そして、その先世界水準というものが見えてくるんじゃないかと。勝手に期待を感じさせていただきました!
ありがとうございます。
自身初の8000点を、来年は獲りたいと思います。
ー-取れますか?
取ります!
ーー今の7603点というベストから8000点獲得まで、陰ながら応援させていただきたいと思います。
少しでも早く、8000点が獲れるように頑張ります!
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2日で2万kcl消費!十種競技とは?【片山和也】【前編】
助けて。コロナ不況…もう競技を続けられない…【片山和也】【後編】
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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。
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