特集2021.12.29

アンプティサッカー日本代表 星川誠さん(31) 片脚でボレーシュートやオーバーヘッドキックが炸裂する驚愕のプレー続出! アンプティサッカーの魅力は… “ 出来なかった ” ことが “出来る” 喜びだった。 ワールドカップ3大会連続出場、夢は「ワールドカップで優勝すること」

2本の杖(クラッチ)に身を委ね、体を振子のように大きく振り、ボールをダイナミックに蹴る。片脚や片腕を切断、もしくは先天的に失った不屈の男たちの競技「アンプティサッカー」
海外にはプロリーグがあるほどの人気スポーツです。
2010年、日本で初めてクラブチームが誕生しました。
今回、インタビューしたのはアンプティサッカー国内トッププレイヤーの星川誠(ほしかわ・まこと)選手。『目標に向かって努力することにおいては健常者も障害者も関係ない』と話す星川 選手。これまでの歩み、そして今の想いを覗いました。

星川 誠 Makoto Hoshikawa プロフィール

1990年4月19日 生まれ
178cm/75Kg
福岡県宗像市 出身 東海大学付属福岡高校~九州共立大学 FC九州バイラオール 所属
アンプティサッカー日本代表 2012年ロシアワールドカップから3大会連続出場
ポジション:ディフェンス

杖を使ってボレーシュートやオーバーヘッド?! アンプティサッカーとは...

アンプティサッカーのクラブチームは、今年(2021年)新たに誕生した兵庫、高知、両県のチームを加え、全国に11チームあります。競技人口は2018年度時点で96人。人気急上昇中の競技です。
フィールドとゴールは少年サッカーと同等の広さ。その中で、クラッチと呼ばれる医療用の杖を使い、パスやシュートを決める片脚(下肢障がい)のフィールドプレーヤーが6人。片腕の選手(上肢障がい)がゴールキーパーを務め、1チーム7人で行われます。

星川誠さん(31)は福岡県に本社がある大手企業 TOTOに勤めながら、トップ選手として活躍しています。オフェンスもディフェンスも何でもこなすマルチプレーヤーとして評価され、これまで3度もワールドカップに日本代表選手として出場しました。
全国大会は年に2回行われて、星川さんが所属するFC九州バイラオールは大分を拠点とした強豪チームで、一昨年(2019年)は3年連続5度目の日本選手権優勝を果たしました。チームの中には県庁で勤めている公務員や、40代の会社員、10代の大学生まで、幅広く在籍しています。

コロナ禍になる前は月に一度の合同練習会がありましたが、今は練習どころか、国内外で試合が行われていません。それでもなお個人で練習を続け準備を怠らない星川さん。いつでもピッチ立てる準備は出来ています。

TOTOで勤務する星川さん(星川さん提供)

「アンプティサッカーは激しくぶつかるコンタクトスポーツ。
それが魅力でもありますが、障害がある人の中には基礎疾患がある人もいるので
今は自粛する時期、それぞれが個人の能力を高める時だと考えています。
オーバーヘッドキックやボレーシュートなど、すごい体勢からシュートを決めるのは、
健常者のサッカーもアンプティサッカーも同じです。
片足しかなくても杖を軸にアクロバティックなシュートを決められるので、試合が再開したら片足でジャンプしてシュートを決める瞬間や、ワクワクするようなプレーを見てくれる人たちに届けたいという想いで練習をしています。」

「障害のせいで何かを諦めるのはもったいない」

かけっこにも果敢に取り組む幼少期の様子(右)(星川さん提供)

玄界灘に囲まれ、海女さんの発祥地としても知られる福岡県宗像市鐘崎で育った星川さん。
子どもの頃は祖母と両親、10歳離れた姉と5人家族で暮らしていました。
生まれた時から、右手の人差し指と中指、左手の中指と薬指がそれぞれ未発達。さらに右足のくるぶしから下はありません。『先天性絞扼輪症候群(せんてんせいこうやくりんしょうこうぐん)』という障害でした。
母親は産後、産着に包まれて眠る星川選手を抱きながら泣き、その姿を見た祖母は母親に
「障害があることは少しも恥ずかしいことでは無い。手や足をガーゼで隠さず、皆んなに見てもらいなさい。」
と励ましました。母親は乳母車に星川選手を乗せては、様々な所に散歩に出かけました。星川さんと初めて会う人の中には、訝しげな目で見る人もいたそうです。
ただ母親は多くの人に可愛い息子のことを知ってもらいたい一心でした。
「あなたはあなた」、特別扱いをされることなく育てられ、自身も障害を障害と思わず、
のびのびと育ってきたと話す星川さんは子どもの頃からたくさんの友人に恵まれました。

「子供の頃、辛いと思った時はなかったです。
学校に行くのが楽しい、みんなと勉強したい、遊びたいと思うばかりでした。
そう思えて成長ができたのは『義足は一つの個性だ』と、明るく育ててくれた家族や周り
の環境があったからだと感じています。
義足をいじられることもありましたが、そうだよ! と明るく返していました。
義足だからどうこうは無く、話したら伝わるし、コミュニケーションで人と人は繋がると
思うので、義足だからお話にならないということは無かったです。
でも、いざ自分が結婚して子供が産まれて未発達な子供が生まれたら、
親と同じことが出来るか?と聞かれたら自信がないです。
もしかして過保護になるのかな。
でも、自分の経験があるので、障害はマイナスではない。
不幸じゃないとは伝えたいです。」

義足との出会いは2歳半を過ぎた時でした。両親は地域の病院を訪ね回り、自宅から車で2時間かけて、息子に合った義足を作ってくれる病院を見つけました。
星川さんは義足を足につける練習を毎日繰り返し、3歳の誕生日が来る頃には一人で義足がつけられるようになりました。小学校の音楽の授業では、リコーダーの穴に指が届かず、音が上手くならない時もありましたが、諦めずに、脂汗をかきながらも他の生徒と同じように練習しました。『障害のせいで何かを諦めることはもったい無い』と、子供心に思うようになったそうです。力強く生きてきた星川選手とサッカーとの出会いは9歳の時でした。

「友人たちがスポーツを始めて、僕も楽しそうだしやろうと始めました。
当時は義足でサッカーをしている子がいなかったので、県外でも話題になったそうです。
そしたらある日、テレビ局の方が僕がお世話になっている義足メーカーに連絡を入れて、
日本テレビの番組『24時間テレビ』に出演することになったんです。
放送後、知らない人たちや同じ境遇の人たちから「勇気をもらいました」と、沢山手紙を
貰いました。私が少し頑張れば、誰かに影響を与えられるんだと、子どもながらに思い、
励みになったんです。
良い意味で逃げ道がなくなりました。
どんなに辛くても、サッカーをやめられなくなったんです。」

義足でサッカー 痛みに耐えてがんばった高校の3年間

中学生になると、より上手くなりたいとクラブチームに所属。そしてスポーツ推薦で、サッカーの強豪校、東海大学付属福岡高等学校に入学します。プロを夢見ていた星川さんにとって、この高校3年間が一番辛かったと話します。

「中学生までは左足一本、義足の右足は支えるだけでプレーしてました。
高校生になると周りのレベルも上がり、動きも速くなりました。
(健常者の)みんなも義足と知っていたけれど、プレーが甘くなることはありません。
ピッチ上ではいつも真剣勝負でした。
運動量も練習量も増えて、義足の中はこすれて血まみれ。
3年間痛みに耐えながら、足を引きずりながらサッカーをやっていた時もありました。
それでもサッカーは楽しいし、上手くなりたい。
義足を理由に諦めたくなかったんです。
『生まれ変わってもサッカーをやりたいか』と聞かれると、
あんなに苦しい練習は耐えられないなとは感じるんですけれど、あの3年間を乗り越えら
れたから、サッカーだけではなく、人としても強くなれたかなと思います。
トップチームの中ではレギュラーになれなかったけれど、かけがえのない時間でした。」

アンプティサッカーとの出会い「全然出来なかった」ことが「面白い!」

全日本選手権大会の時(星川さん提供)

大好きなサッカーを続けようとプロ選手を何人も輩出している九州共立大学に入学します。しかし、義足は何度も壊れ、プレーについていくのは難しいと限界を感じるようになりました。
1年で大学のサッカー部を辞めることにしたのです。
サッカーに挫折しかけた時に人生を変える一本の電話が入りました。

「大学まで障害者スポーツには興味がなかったんです。健常者のスポーツの方が凄いよね、迫力があるよね、と魅力を感じていませんでした。
そんな考えのままサッカーに挫折しかけた時、私がいま所属しているチーム『FC九州バイラオール』の元主将 加藤誠(かとうまこと)さんが日の丸を背負わないか と電話をくださったんです。
わざわざ私の住んでいる近くのグラウンドに来て、実際にプレーを見せてくださいました。杖を2本使い、加藤さんが片足でリフティングしている姿を見て、これは凄いなと驚きました。
私も義足を脱いで杖(スティック)を持ってやってみたら、一切出来なかったんです。体のバランスが全然違いました。片足で走って、ボールを蹴ることが出来なくて。
そのとき、これは面白いなと思ったんです。出来ていたことをブラッシュアップする、それが今までのサッカーだったんですけれど。
振り出しに戻って、幼少期のサッカーを始めたころを思い出しました。」

試合中の様子(星川さん 提供)

日本代表として3度のワールドカップ出場「世界一になりたい!」

星川さんに声がかかった2011年はちょうど翌年のワールドカップを見据え、国内でアンプティサッカーの普及活動が行われている時でした。日本代表の選考がかかった国内の試合までわずか数ヶ月でしたが、星川さんは持ち前の根性で、杖を使っての練習や上半身の筋力アップに励み、代表の座を射止めました。
日本はアンプティサッカーのワールドカップに2010年から参戦。2010年、2012年は一勝も出来ませんでした。2012年のロシアで行われたワールドカップでは、強豪国トルコに0-13と惨敗。世界の壁を感じました。結果が出始めたのはその2年後、2014年のメキシコワールドカップでした。トルコに3-0で勝ち、結果は世界の11位。2018年のワールドカップは10位。選手層も厚くなり、10代の選手の活躍も目立つようになりました。日本代表選手たちはそれまで誰も口にしなかった「ワールドカップで優勝したい」を強く思うようになったのです。
星川選手は今、自分より若い世代に自分の技術やワールドカップ出場時の体験を伝え、次のチャンスに備えています。

ワールドカップ出場時(星川さん提供)

「今は育成、若い選手を育てる仕事も任せられています。
若い世代に色々な経験も伝えていきたいです。
10代、20代の若い世代には まず、限界を決めないで何でも取り組んでみたらどうですか,
と伝えています。コロナ禍で先が見えませんが、日本選手権が例年だと秋以降※にありま
す。今はそれを楽しみに、練習あるのみです。」

(※編集部注:2021年度の日本選手権は、2月19日〜20日で開催されます)