特集2022.04.14

マイノリティな私も、悪くない 〜少数派だからこそ出来ること〜 サーカー壽梨 さん(23)が “普通じゃない自分” をポジティブ変換する極意とは? 導き出した解答は…自らのルーツ、リケジョ、パデル…マイノリティ要素の掛け算だった。

幼少期に一家で海を渡り、インドでの生活を始めたサーカー壽梨さん(23)
インドでは「彼女にしかできない経験」を味わい日本に帰国、東大生となる。
学生時代はサッカー部、BSサッカー番組のリポーターにも任された。
そして卒業後、新スポーツ パデル との運命的な出会いが待っていた。
彼女にはその時々に、確固たる「アイデンティティ」が備わっていた。
社会に羽ばたく滑走路の上で、初めて抱いた想いとは…?
アグレッシブな彼女のルーツを辿ろう。

サーカー壽梨のルーツ

日本人の母、インド人の父を持つ彼女は東京で生まれ、5歳の時、父の仕事で母と双子の兄と共にインドへ渡った。当時のサーカー兄妹にとっては「家族で少し遠くに引っ越しをした」程度の出来事だった。それからは、現地のローカルスクールに通った。家の外では英語とヒンディー語。家では日本語のトライリンガル。母の指導の元、日本語の読み書きはもちろん、義務教育の全教科を帰宅後の自宅学習で習得した。
その後、インド統一テストであるCBSE Board examで優秀な成績をあげ、Times Of Indiaという新聞の一面にまで取り上げるほど、その秀才ぶりは街中に知れ渡っていた。そんな彼女にも苦い思い出があった。


校内選挙に兄が出馬!インドで感じたマイノリティ

通っていた学校で行われた校内選挙。それに双子の兄が出馬することに。それまでの学校生活では校長先生にも優しくしてもらい、学校側も外国人であるサーカー兄妹に対して歓迎的ではあったのだが…。「誰かを選び、誰かを落とす」といったシステムの選挙において。生徒たちに潜在していた気持ちが言葉に代わり、はじまったネガティブキャンペーン。「果たして、外国人がこの学校のリーダーになっていいのか?」そんな言葉が校内に飛び交い始めた。そこで初めて感じたマイノリティとしての感情…。
サーカー兄妹はこれに屈さなかった。ネガティブキャンペーンに応じることなく、「この学校に何が必要なのか」を誠実に語りかけた。その気持ちが通じた。生徒会長・サーカー兄、副会長・サーカー壽梨。現地の仲間たちがサーカー兄妹に生徒会の運営を託したのだ。そして、日本へ帰る。

東大でも「リケジョの私は少数派?! 」 膨らむマイノリティの自覚

5歳で海を渡り高校までの12年間をインドで過ごしたサーカーさん。振り返れば自分が生まれた国、日本での生活よりも長い時間をインドで過ごしていた。そこで、自分の中の日本人としてのアイデンティティを高めたいと思い、母と一緒に母国日本へ帰ることを決意した。先述したインドの統一テストの好成績もあり、日本の大学最高峰、東京大学へ。

教養学部学際科学科PEAK で優秀な世界各国の学生たちと勉学に励び、女子サッカー部に入部、アクティブ東大生として学生生活をスタートする。
しかし、ここで思いもしなかったストレスに苛まれる。自分が当たり前のように話していた英語が、実はインド訛りのもので、他の生徒たちに伝わらない。加えて、理系で進学した彼女。理系の学生は全校生徒の20%にも満たないことも知り、マイノリティ精神がさらに膨らむ。

マイナースポーツ「パデル」との出会い

彼女にはその時々に、確固たるアイデンティティが備わっていた。しかし、サッカー部を引退、東京大学を卒業し、社会に羽ばたく滑走路の上で、彼女が初めて抱いた想い…
「いまの私の居場所(アイデンティティ)はどこにあるのか?」
全ての所属から離れた瞬間に、違和感を抱いた。そんな何か物足りない日々を送る中で出会ったのが、「パデル」というスポーツだった。
パデルとは……1970年代にスペインで生まれたラケット競技。コートの周囲はガラス張り、テニスを小さくして、スカッシュの要素を組み合わせたようなルールで行う。ラケットスポーツ特有の難しさもなく、初心者が気軽に始められるスポーツとして注目を集めている。この出会いも偶然だった。
ある日、サッカーに一生懸命、打ち込んでいた時にお世話になった方と一年ぶりに再会した。食事をしながら言われた一言。「パデル、やってみないか?」。何ごとも “食わず嫌い ”が嫌いなサーカーさんは二つ返事でパデルを始める。瞬く間に夢中になり、その方の所属する日本パデル協会の一員となった。
持ち前の語学力、コミュニケーション力を活かし、昨年は日本代表チームに帯同して選手やチームのサポートなどを行った。そして、ここからが〝サーカー流〟。「私自身もパデルが上手くならなければ説得力がない」と、自らも週に2回、練習会に参加するようになった。

ゼミの先生が教えてくれたマイノリティの強さ

そんな彼女の窮地を救ってくれたのは「ココロのトリセツ」という学内ゼミとの出会いだった。ここでは、視点を多角的に持つことやメタ認知(自分が認知していることを客観的に把握し、自分自身を冷静に見ること)などを学んだ。
「私はマイノリティ=少数派なのだから、仲間はずれにならないように〝普通〟に近づかないといけない」
そんな思いこみが一掃された。そうではなく、多様な部分を 包括(インクルージョン) することの方が大切であることを強く感じるようになったのだ。自分にしかできない「掛け算」をはじめる。
①日本人の母とインド人の父を持つ私
②3ヶ国語が話せる私
③リケジョ(理系女子)な私
④サッカー女子な私
⑤ダンスやパデルに夢中になる私
マイノリティな私だからこそ求められることがある。社会の役に立てることがあるとポジティブに変換できるようになった。その「掛け算」を活かし、学生時代には大学サッカー部応援番組(BS番組)のナビゲーターを務める。社会人になってから出会ったパデルというスポーツにおいては「日本と世界のブリッジとして協会を支えていきたい」と意気込む。


写真:東京大学卒業(東京大学駒場キャンパス)

“ サーカー流 ” 彼女が伝えたいこと

大好きな「スポーツ」と「エンタメ」
そして、自分自身が体現できる「ダイバシティ(多様性)」
この3つの要素を掛け合わせて「私にこそできる情報発信をしていきたい」と意気込むサーカーさん。
「自分自身の体験を通して、マイノリティって悪くないということを伝えたいんです」

他人にあって、自分にないものを悲観するのではなく、その人を構成する その人にしかない要素の掛け算 を。そして、最後にメッセージを残してくれた。
「その人その人の好きなことの掛け算で、一人一人が豊かな日々を送れたらと思います」

筆者が感じたこと

終始笑顔で話すサーカーさんからは言葉の節々に力強さや真の強さを感じた。「苦労を楽しみながら乗り越えていく」という典型的なタイプの方だと。一方で、マイノリティを理解するマジョリティの姿勢も必要であることを同時に痛感した。そうすることで、マジョリティ側にも「楽しみの掛け算」の選択肢が増えていくとさえ思った。限られた文字数ではあったが、一人でも多くの方が彼女からパワーをいただけることを期待する。

サーカー壽梨 さんの情報はこちら!

サーカー壽梨 個人Instagram
https://www.instagram.com/sarkar_juli_/

日本パデル協会HP
https://www.japanpadel.com/

日本パデル協会Instagram
https://www.instagram.com/japanpadel_official/