特集2022.04.15

【陸上物語FILE 8 増田和茂】 東京パラリンピック開会式義手のバイオリニストの秘話

アスリートの生き様を尋ねて全国を回る「陸上物語」。 
8人目のゲストは兵庫県障害者スポーツ協会・ひょうご障害者スポーツ指導者協議会 代表の増田和茂さんです。庄野アナウンサーがパラスポーツのエキスパートにたっぷりとお話を伺ってきました。

パラスポーツのエキスパートを訪ねて

ーー障がい者スポーツとの出会いは?

小学生の時の仲良しだった子が、事故によって足の切断をして…身近な友達に足がなかったんですね。また、自分の母親が脳卒中で片麻痺になったんです。
それで、順天堂大学(出身)なんですけれど、〝医学と体育学を繋げる〟という教育理念があって。その中で、『スポーツがリハビリテーションの中で、どうにか還元できないか』ということで、(大学の)ゼミに入りました。それからは、その(障がい者スポーツの)世界にどっぷり。

障害者スポーツとともに50年

ーーそういったきっかけがあって、50年間立ち止まることなく突き進んでこられて。振り返ると、どんな50年でしたか?

兵庫県で就職をした時、1回は転勤の内示があったんですね。
その時は関東のリハビリセンターから『増田さん来ない?』というオファーがあったので、もし異動があったら退職をする考えだったんですね。それを、当時の上司が止めてくれたので、そのまま50年。もともとの出身が東京の東村山市なんですけれど、東京には帰るつもりもなかったので、今も兵庫県に住んでいるというところです。

現実にある「理解」の地域拡散

ーーこの50年間、ほぼ半世紀ですけども、障害者スポーツ、障がい者の方の環境も、全然違うと思うのですが?

そうですね。大きく変わってきた面もあると思いますが、障がいがある方達から言わせると、『あんまり変わっていない』というのが現状です。例えば、長野オリンピック。長野県にお住まいの方に言わせると、『パラリンピックがあったけれど、そんなに変わらなかった』と。結局は、スポーツがあるからと言って(障がい者の方を取り巻く環境が)すぐに変わるわけではない。東京はだいぶ変わったと思います。しかし、各地方に行くとそれほど変わっていないんじゃないかなと。また、『(障がいに対する)人の心はどうやって変わったの?』ともよく言われます。〝心のバリアフリーはお金がかからない〟ともいわれるように、(障がいに対する)人の心をどうやって変えていくのかっていうことに、注目したいですね。

〝人の心〟をどう変えるか

ーーカタチを伴わない〝思い〟や〝考え〟の部分といった実態のないものを変えていくことほど、難しいことはないですよね。

そうですね。〝ユニバーサルデザイン〟っていうものが、逆に障がいのある方達が使いにくくなってしまう場合があるという負の点もあります。そういったところに、目を向けなければいけないと思いますね。

〝パラリンピック〟の語源

ーー〝障がい者の〟とつくと、特別に思ってしまう方もいる。しかし、〝インクルーシブ=一緒にして見ていこう〟という動きもやっと見られるようになってきて、東京2020パラリンピックに繋がったのではと思います。その辺りのお話は後ほどお聞きするとして…そもそもパラリンピックの〝パラ〟とは?

もともとは、脊髄損傷の方の障害である〝パラプレジア〟という語源からきています。

ーー特定の?

そうです。パラリンピックの〝パラ〟は〝パラプレジア〟からきているので、1964年の東京パラリンピックはパラプレジア、つまり脊髄損傷の方達の大会として開催した。

ーーでは、パラプレジア以外の障害の方は参加ができなかった?

はい。ただ、〝2部〟という形で、切断とか視覚障害の方、聴覚障害の方も参加はしています。でも、それはパラリンピックとしてではなく、〝2部の国内の大会〟として参加されていた。それからまた、時代は大きく変わって、他の障がいの方達も1964年の東京パラリンピックの後に、(パラリンピックに)参加できるようになりました。それから〝パラレル=並行して〟という考え方ですが…私は〝パラレル〟というのは〝並行して〟パラリンピックとオリンピックが一緒にあるという考え方だけれど、〝インクルージョン〟とかと言われるように、この二方向がいつ交わるのかな?と思っている。いつもパラレル(並行)ではなく、インクルージョン(交差すること)を夢見ています。

義手のヴァイオリニスト伊藤真波さん

ーー〝パラレル〟というときれいな言葉には聞こえるけれど、果たしてどうなのか?という疑問があります。東京パラリンピックはどうでしたか?

開会式と閉会式が1番感動しました。私の知っている方でもある、義手のヴァイオリニスト、伊藤真波さんも演奏されました。エンターテイメントとスポーツが融合したという点では、よかったんじゃないでしょうか。

ーー伊藤さんとはどういったお知り合いなのですか?

実は、彼女は私が勤めていた兵庫リハビリセンターに患者さんでいらしっしゃってたんです。当時、彼女(がヴァイオリニスト)とは知らなかったんですが、接点が出来て…。彼女の講演とか演奏の依頼が来た時に、ギャランティーのことなどの調整もおこなっています。

ーーマネージメントも?

はい。他の選手でいうと、上地結衣選手(東京パラリンピック車いすテニス銀メダリスト)とも接点があります。昔、伊藤さんの動画をFacebookで流したら1週間で1000万回と再生されて海外からメールが1000件くらい飛んできたことがありまして。これは(対応しきれないから)まずいと思って、1週間で消してしまったのですが…(笑)。そんな彼女との出会いが大きなきっかけとなって『〝エンターテイメント✖️スポーツ〟って大事だな。ダンスも広めないと』と言う形で、2020年12月にユニバーサルという形でストリートダンスなどの周知に力を入れています。これまでは、車いすダンスや社交ダンス、盆踊り、フォークダンスといったものが主流だったと思うのですが、『今流行りのブレイクダンスだとかストリートダンスも広めなければ!』と、数年前から(周知活動に)関わってきて、昨年やっと連盟ができました。

ーーすごいですね、増田さん。やられていることの要素がたくさんおありで。1つずつゆっくりお聞きしたいんですが、まずは伊藤真波さんについて。大きくなってから、20歳で右腕を切断。そこから、簡単に気持ちの切り替えはできないと思うんですが…。彼女はパラ水泳に挑戦(北京、ロンドンオリンピック日本代表)されたうえに、ヴァイオリンにも挑戦されたという。近くで見ていて、伊藤さんって、どんな方ですか?

彼女は、いつも〝諦めない心〟言葉を使います。
われわれは簡単に〝諦めない心を持とう〟、〝障害を受容しよう〟と言いますが、当の本人にとっては簡単なことではないわけで。私の知っている近くの(障がいをお持ちの)方も、それを苦に自分で身を投げて…お子さんが亡くなってしまったケースもあります。
いろいろと(障がいをもつ方の現状を)聞いたり、見たり、目の前で関わる人たちを見ていると、〝障がいを受け入れる〟というのは難しいことだと思います。その中で、(障がいをもつ)若者たちにとって、スポーツというのは非常に有効な〝発散〟の手段になってくる。スポーツを介することで、諦めていたもの…つまり、恋愛や結婚、子どもをつくること、親になるというチャンスが(できてくる)。スポーツの中には、いろんなフィールドにチャンスがある。そんな中で、伊藤さんからもらう元気やヒントといった、彼女からの小さな発信力をできるだけ受けとめたいなと思いますね。

ーー意思や強い気持ちというものをお持ちの方なんですか?

そうですね。伊藤さんの場合、何度か講演を聞いていて(思うのは)、まずは〝感動する〟んです。それから〝泣く〟んです。そして、〝笑う〟んです。そして、『もう1回、リクエストで弾いてくれない?』っていうような雰囲気(をつくること)ができる。講演を行うパラ選手の中では、飛び抜けた資質やスキルを持っているんじゃないでしょうか。

ーーもしかしたら、増田さんが動画をあげたことがきっかけで…。

いえいえ(笑)。

ーー世界からのオファーが広がって…YouTubeにも動画があがっていますけれど、世界中の方が感動をして、まさに〝ノンバーバル〟、言葉を使わずとも感動されて。パラリンピックの開会式でも、見事にお弾きになって。その姿をご覧になってどうでしたか?

本当に…自分のことのように嬉しかったですね。
彼女は、またさらに、これからいろんなことで発信をしていくと思うんですよね。スポーツを通じて、アスリートとして、女性として、母として、妻として。
アスリートは、セカンドキャリアというか…それ(資質)を生かす場所が必要になってくると思うんですよね。そのためには、彼女は1つの見本やお手本(になっていくの)かなと思いますね。

ーーそういったお話を聞けば聞くほど、『伊藤さんだからできたんじゃないか』つまりは、〝みんながみんな、強い心を持っているわけではない〟というか…。身近な方でも身を投げた方がいたとおっしゃっていましたが、そのあたりは一筋縄では語れないですよね。

今回のパラリンピックの映像に関しても、『パラリンピック選手はすごい!』というのが8割から9割だと思います。でも、そのスポーツのアスリートというのは〝頂点の一部〟。裾野のほうへいけば、とても運動はできない。心も体も経済力も…。そういうことを考えると、あの(パラリンピックの)映像を〝どのように伝えるか〟というのが問われると思います。ちなみに、ロンドンパラリンピックの時は〝失敗した映像〟が撮られた。

ーーそれはどういうことですか?

(ロンドンオリンピック開催に伴って)プロモーションビデオを作ってどんどん流した。(その結果)障がいがある人のイメージは〝すごい〟というのが国民に意識づけられてしまってた。例えば、車いすに乗っている両足がない方に『あなた、義足をつけて走らないの?』、『車いすに乗ったら、バスケやテニスがだってできるよ』というような形で一般の方が見てしまうようになった。〝そうではない〟ということを、今回の東京パラリンピックに関しても、メディア関係者は〝どのように伝えるか?〟というのが大きなテーマだったんです。今回、(大会が)終わった後、国民の目線や意識、障がいのある方へのイメージはどう変わったか。これまでも、ドイツやアメリカ、欧州でアンケートが取られているんですが、まだまだ日本人は〝障がいを意識してしまう〟。
例えば、アメリカは、戦争によって障がい者にがなった方も多く、やはり〝代表で〟という意識が強いんです。なので、国民の意識も違う。しかし、(現代の)日本は戦争がない。平和というのは良いことなんですけれど、やはり障がいのある方を見る目というのが、大きく変わってくる。これから、(障がい者に対する日本人の)意識がどう変わるかというのを気持ちとして持ちながら、今、〝子どもたちにどう伝えていくのか〟。〝子供〟(が重要)だと思うんですよね、大人より。

パラスポーツの「斬新な切り口」

ーー増田さんの熱量をすごく受けとめていて、若い自分がもっと頑張らないと!と思いました。我々もエンターテイメントの業界にいて、増田さんのおっしゃっている〝パラスポーツをエンターテイメント化〟していかないといけないと思っています。

エンターテイメント、音楽、踊り。場合によっては、演劇にもなってくる。そんなような切り口で、『スポーツも(一種のエンターテイメントとして認知されたい)』と思っている。このあいだも、ある講習会で…エンターテイメントではないんですが、パラスポーツを題材にして、〝コロナ〟を入れた形で、俳句を作りましょうかと。

ーーちょっと待ってください(笑)、パラスポーツとコロナを掛け合わせて、俳句を?

こういうふうに、〝切り口〟を柔軟な形でね。そうすると理解、協力者っていうのがもっと増えてくると思うんです。スポーツ文化と芸術文化とかは、もう少し、何かに融合させるヒントがたくさんあるじゃないかなと。

ーー〝スポーツはスポーツ、そうじゃないものはそうじゃない〟ではなくて、〝融合させていく〟と。

中高齢者の方に興味を持ってもらうには、川柳クラブだとか、そういったところで(パラスポーツに関する)題材を設けることで…。優勝作品には、ただ手をたたくだけでもいいわけですよ。そういう引き込み方をしたいなと思います。ダンスでもいいんですよ。エンターテイメントの中で、パラスポーツをキーワードにした演目を作ってもらって、それをYouTubeなどで5分くらいの創作で出してもらって。そういう話題性を作って、そこからパラスポーツを〝自然と〟理解してほしいと思っています。

ーー若い人たちはまだ柔軟だけれど、中高年の方たちはちょっとまだ常識を変えていくことが難しい。そんな中での〝俳句〟。なるほど。

俳句、川柳。中高齢者の方達が楽しめる〝スポーツ〟っていう感じですよね。

東京パラリンピック開会式閉会式の演出

ーーここまでの話を聞いていると、今回の東京パラリンピックの開会式、閉会式の総合演出をされたのは、増田さんですか(笑)?

とんでもないです(笑)。できたらよかったですね!

ーーまさにそういう世界観ですよね?そういう意味では(開・閉会式には)意義があったんですかね。

そうですね。すごく開・閉会式には意義があったと思います。
ただ、私が残念だったのは、先日70人の高校生たちに『パラリンピックの開・閉会式見た?』と聞いたら、誰も手が挙がらなかった

SNSとYouTubeを活用せよ

今の若い人、テレビ見ませんよね。おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に生活をしなければ、テレビをみる機会も少ない。そういう中では、SNSを使って工夫をするという必要があると思います。私がすごく昔から(手段として利用できると)思っているのが、ゲーム。〝eスポーツ〟ってありますよね?例えば、車いすバスケはあれだけの成績(東京2020パラリンピックにて、車いすバスケ日本代表が銀メダルを獲得)を出した。〝eスポーツ〟を使ったパラスポーツってまだないと思うんです。

ーーたしかに。増田さんのパラスポーツ界50年の知識と経験があれば、どんどんアイディアが生まれてくると思うんですけれど。これをカタチにしていくには、いろんな方の力がやはり必要ですよね?

パラスポーツのマーケット

もちろん、そうですね。サッカーがこれだけ人気があるのは、いわゆる〝トリプルミッション〟である、〝勝利、普及、マーケット〟があるからなんですよね。パラスポーツには、〝マーケット〟がない。

ーーどこで競技を見たり、楽しむのか。〝商品〟として、どう売っていくのか。

そうですね。今、ちょっと人気があるのが、車いすバスケの〝フィギュア〟。ガチャガチャであるらしいんですね。手に入ると、身近に感じられる。実はこれ、意外とオタクさんがおりまして(笑)、集めたりする人がいる。もっと身近に…それこそ、ガチャガチャから出てくるとか、そういう工夫が必要だなと思うんですね。

ーー〝福祉でお金儲けをすることは良くない〟というような。特に、国内ではそういうイメージがある。それがまさに〝マーケット〟を作ること鈍らせているんじゃないかなと思います。

そうですね。どうやって工夫をすればマーケットになるのか、専門家に話を聞きたいなと思います。

ーー専門家の方たちの英知を結集したら、より形になるスピードが早まりますよね。

オリンピックとパラリンピック「報奨金」の違い

ーー今回のパラリンピックですが、国によってはオリンピック選手とパラリンピック選手、メダルを取った時の〝報奨金〟が同じ国があった。それに対して、日本はどうなんでしょう?

日本の場合、リオオリンピックの時からパラリンピックの金メダルは300万円、銀メダルが200万円、銅メダルが100万円。オリンピックは金メダルが500万円。それ以外に副賞もあって。そんな中、車いすテニスの国枝さんはUNIQLOから1億円。あれはちょっとめずらしい。もっと(これからは)、オリンピックとパラリンピックの金額が一緒になっていく時代。フェデラーが優勝した金額と国枝さん(が獲得した金額)とでは、0(ゼロ)が1つ2つ違うと聞きますけれど、それが一緒になったらいいなと思います。

ーー同じか、もっと〝すごいこと〟ですものね。

そうですね。その〝違い〟というものが、商品価値として考えた時、金額や評価の対象になってしまうのかな。でも、金額だけじゃなくて、もう少し、人の心が豊かになって認識が高まって、認知度が上がれば、それはそれで良い評価になると思うんです。〝周知〟と〝認知〟は違う。周知するのは簡単。認知はというのは、その次のステップ。東京パラリンピックをきっかけに〝周知から認知にどう戦略を組むか〟ですね。

パラリンピックスポーツとともに50年

ーーここまでの50年間、長かったですか?短かったですか?
 
短かったという印象ですね。これまでに、リハビリテーションの中で〝医療の中のスポーツ〟と〝教育現場の中のスポーツや体育〟、パラリンピックにも2度、行かせてもらいました。また、頂点に立った人へのスポーツの場面や経験。今は行政の中にいるので、〝地域スポーツをどのように変えていくのか〟。また、民間とであったり、産業関係、企業との関わりもできることになって、非常に恵まれた、長いようで短かった50年でした。

ーーそしてこれから10年、20年、30年。ご本人も先頭に立ってまだまだ走られると思うけれど、後世に引き継いでいくものもあるかもしれないですよね。

後世へのメッセージ

〝(色紙を指して)動く故に我あり〟少し哲学的な言葉なんですけれど、武道関係をやっていましたので。この言葉をおよそ40年前に師匠から伝えられて、未だに忘れられないんです。(やっぱり)動かないと。言葉と体を動かすことによって〝自分〟がある。これからも、〝動きあるのみ〟だと思っています。

陸上物語の情報はこちら!

東京パラ開会式「義手のバイオリニスト」の秘話【増田和茂】【前編】

ナゼ?東京パラのテレビ露出の少なさ【増田和茂】【後編】

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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。