特集2022.05.20

春高準Vバレーボール芸人さとゆりさんが「すべての人に伝えたいこと」

部活動に励む学生達から多くの共感を得ているお笑い芸人、さとゆりさん。SNSで投稿した「バレーボールあるある」動画が今、多くの部活生から注目を集めています。小学生の頃からバレーボールに励んできたというさとゆりさんも、春の高校バレー(全日本高校選手権)準優勝という経歴の持ち主。厳しい部活動のなかで、辛いことや理不尽なことも多くあったという彼女が、自らの経験をもとに「すべての人に伝えたいこと」とは。「スポーツ×お笑い」という視点で、お話を伺いました。

さとゆり プロフィール

1994年9月8日 兵庫県出身 吉本興業所属 大阪NSC42期
魚住中学校~氷上高校~愛知学院大学を経て、母校・氷上高校で保健体育教諭をしながらバレーボール部の顧問を務めた。2020年6月に「スターティングメンバー」というコンビで吉本興業よりデビュー。現在はピン芸人としてSNSを中心に「バレーボールあるある」動画を投稿し活動している。全日本バレーボール高等学校選手権大会(通称「春の高校バレー」)で準優勝の経歴を持つ。

バレーボールひと筋 苦楽を乗り越え15年

自己紹介と今の活動について教えてください。

吉本興業所属3年目のお笑い芸人、バレーボールが大好きなさとゆりです。小学生の頃から15年間バレーボールをやってきました。今は、主にTikTokで「バレーボールあるある」動画を週3,4回のペースで投稿しています。現在(2022年4月)5.1万人の方にフォローしていただいていて、昨年、初めて地上波の番組「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」に出演し、「東洋の魔女」のモノマネをしました。

「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(フジテレビ)に出演(ご本人提供)

バレーボールを始めたきっかけは?

小学3年生の頃、住んでいたマンションのバレーボールチームができたんです。当初、私は誘われていませんでしたが、仲のいい友達何人かがバレーボールを始め、このままでは仲間はずれになってしまうと感じたんですよね。それで、母にお願いしたことがきっかけでした。

マンションのバレーボールチームに所属していた頃(ご本人提供)

好きで始めたというわけではなかったんですね。初めて練習に行ったときの印象はどうでしたか?

ゴム製のボールで週に一度だけ活動するというゆるやかなチームだったので、バレーボールをしているというより、遊んでいるような感覚でしたね。私、小学5年生の頃、すでに身長が162,3cmもあったんですよ。それで、革のボールで本格的に活動するチームにスカウトされたんです。「毎日練習するなんてありえない!」と思っていたので、母にも「行かない」と言い張っていたんですが…。母がずっと「1回行ってみいひん?」言うので、仕方なく行きました(笑)。行ってみると、さすが強豪のチームというだけあって、練習で汗だくになって。もう帰りたいなと思っていた矢先、監督から練習着を渡されたんです。「明日も〇時から練習ね」と言われ、「強制入部やん、大人って怖っ!」って思いました(笑)。それが本格的なバレーボール生活の始まりですね。身長が高いというだけで何もできなかったんですが、監督の指導のおかげで小学校5年生から1年半程で、スパイクが打てるようになりました。

本格的にバレーボールを始めた頃(ご本人提供、後列右監督の隣)

中学、高校と強豪校に進学されましたが、部活動をする上でつらい経験などはありましたか?

中学生のときは、担任の先生が監督だったこともあり、バレーボール以外のところでは怒られまいと、休み時間はずっと本を読んで大人しくしていました。3年生になってからはキャプテンをしていたということもあり、チームで一番叱られていたと思います。監督に「もうキャプテンやめろ」と言われたり、独特なルールもありました。雨の日に傘を差して下校していたら、先輩に「前歩いてる先輩傘さしてないやん」と怒られ、傘を畳み、ずぶ濡れで帰ったことも(笑)。寮生活だった高校時代は、先輩と2人1組の部屋で気が抜けない生活が続いていました。この時も理不尽なことがたくさんあって。小さなことで言うと、1年生は食事のときに飲む水は1杯までとか、朝食のパンにジャムなど何もぬってはいけないとか。当時はおかしいとも思わず、一生懸命守っていました。そんな中、親にも会えずストレスを発散させる場所もなかったことが、きつかったですね。バレーボールの技術に関しても、うまくいかないことが多いうえに、同級生が先にレギュラーに選ばれたりしたこともあって、葛藤はずっとありましたね。

氷上高校時代(ご本人提供、白のユニフォーム)

バレーボールをやめたいと思ったことはありましたか?

中学、高校は毎日やめたいと思っていましたね。でも、やめる勇気がなかったのと、目標を達成できない悔しさがバネとなって続けられたんだと思います。中学生の頃は、全国大会出場を目指してやっていたので、「私がエースとしてこのチームを引っ張っていかなくては」という責任感がありました。高校でも、つらい練習やつらい時間がたくさんあったんですが、県予選の決勝で春高出場が決まった喜びは何にも代えがたいものがありました。その一瞬のために頑張れたというのはありますね。

(ご本人提供)

「怒る」から「笑わせる」へ

真剣に部活動を続けた後、トップ選手になれる人は一握り。その後のキャリアに悩む学生が多いかと思います。さとゆりさんは学生時代、ご自身のキャリアをどう考えていましたか?

私は大学までバレーボールしかしていなかったので、指導者として部活動に関わりたいと思い、教員免許を取得しました。バレーボールとは別の夢をもって専門学校に入る子も多かったです。最近はバレーボールに関わる仕事も増えてきたので、「選手としてじゃなくてもバレーボールに関われる選択肢があるよ」と、学生たちに伝えていけたらと思います。

氷上高校で指導していた頃のお話を聞かせてください。

母校に声をかけてもらって体育の教員になりましたが、当時は本当に未熟で。体育の教員としても、部活の顧問としても「厳しくしないといけない、叱ることが正義」と思いながら毎日、しかめっ面で怒ってばかりでしたね。でも、ある時「私はお笑いが好きで、人の笑顔が好きやのに、どうしてこんなに怒っているんやろうか」という矛盾を抱えだしたんです。これは私のやりたいことではないなと気づいて、お笑い芸人を目指そうと決めました。

氷上高校での保健体育教師時代(ご本人提供)

思い切った決断ですね。

心のどこかで「お笑い芸人になりたい」という気持ちはあったので、このタイミングだろうと思ったんです。

優しく指導することではなく「お笑い」という方向に進んだ理由は何ですか?

体育教師のやるべきことは、やはり「指導をすること」だと思っています。ずっと緩やかな雰囲気だと怪我も起きるし、ピシッとしなくてはいけない場面もあるので。そんな中、やはり「人を笑わせたい」という気持ちが強くなって、若いうちにチャレンジするなら今だなと思って挑戦しました。両親に芸人になりたいと伝えたら「いいやん、やりたいことをしなさい」と応援してくれました。反対はまったくなかったですね。NSC(吉本総合芸能学院=新人タレント育成のための養成所)に通いたいと言ったときも背中を押してくれて、「ありがとう、頑張るわ」と伝えました。先程、中学生の頃はずっと本を読んでいたと話しましたが…。私、本当に暗い性格だったんです。人前に立つとすぐに顔が赤くなって一言も話せなかったし。「芸人なんてできるのかな」と不安に思っていた私を、学生時代の顧問の先生や恩師が「やってみろ!オーディション受けてこい」と、応援してくれました。

芸人の道に進むと決めてNSCに入った時、驚いたことはありましたか?

家と体育館を往復する毎日だった私には、お笑いに関しての知識が全くなくて。なので、漫才やコントを披露する「ネタ見せ」の授業で、経験者のレベルの高さを肌で感じた時は衝撃的でした。

さとゆりさんが感じるバレーボールとお笑いの共通点とは?

バレーボールでも、アンダーパスとかオーバーパスは最初からできないじゃないですか。それでもコツコツ頑張って、できるようになる。そこがお笑いとの共通点かなと思います。お笑いには教科書もないし監督のような指導者もいないので、自分でコツコツと喋り方を研究してネタを考えていくしかない。「塵も積もれば山となる」とはよく言ったもので、入学当時よりは喋れるようになりました。「続ける力」や「根性」はバレーボールでも、お笑いでも同じだなと思いました。おとなしい性格の私を知っている友人たちは、「え!芸人になったの!」とすごく驚きます。でも、いろんなことに挑戦している私の姿を見て「めちゃくちゃかっこいい」と言ってくれる人もいて。人に影響を与えられるような仕事ができているということが、嬉しいです。

芸人としてネタを披露するさとゆりさん(ご本人提供)

「あるある」動画 で部活生にエールを

今は「バレーボールあるある」動画をたくさん投稿されていますが、なぜ始めようと思ったんですか?

芸人になった当初、新型コロナウイルスの流行と重なり、思うように活動ができない時期がありました。実はコロナ前からTwitterで「バレーボールあるある」を文章で投稿していて。「いいね」の数が多くついたこともあり、その頃から「バレーボールあるある」への大きな反響を感じていました。せっかく時間ができたので動画にしてみたら、想像していた以上に「いいね」をいただけて。多くの方が共感してくれるテーマなんだなと実感し、本格的に動画を発信していくことにしました。最初は、ただ笑ったり共感したりしてほしくて、プレーヤーの「あるある」を動画にしていました。でも、徐々に指導者としてのネタも投稿し始めて、自分でも「理にかなっていることを言ってるな」と思えたんです。そこから、「笑えるけど技術的な勉強にもなる」というネタ作りにこだわり始めました。「ただ笑ってほしい」という考えに「指導者としての考え」も盛り込んで撮影しています。

「あるある動画」はどういう発想から生まれるんでしょうか。

最初の頃は、現役時代にこんなことがあったなと、思い出しながら作っていました。でも今は「あるある」を作る脳みそができあがっているので、食事中とかに勝手に思い浮かんできます。忘れないようにメモはしていますが、あえてネタを考える時間を作るようなことはしていません。バレーボールをする機会があるときは、実際に目で見たものや自分のプレーから、「これも『あるある』やな」と思いながら作っています。最近はライブ配信をするときに視聴者の方からコメントを通して「あるある」を教えてもらい、それを参考にさせてもらったりもしています。今、1兆個くらいの「あるある」のアイデアが浮かんでいるので、全部動画にしていきたいですね。「バレーボールあるある」動画を1番見てもらいたいのは、部活生です。部活動を頑張ることは、素敵なことですが、同じくらいしんどいことも多いかと思います。なので「頑張りすぎなくてもいいよ」という気持ちが伝わればいいなと。私自身、部活をやっていた頃に、お笑いに助けられていました。中学生の頃、毎週水曜日の「爆笑レッドシアター」(フジテレビ)という番組を楽しみにしていました。当時流行していた「ズクダンズンブングンゲーム」が本当におもしろくて、はんにゃさんが大好きだったんです。当時は、毎週水曜日のその番組を楽しみに1週間頑張っていましたね。自分がお笑いに助けられてきたので、今度は自分が助ける番だと思っています。「バレーボールあるある」を通して、部活動を頑張っている子がつらいときやしんどいとき、「これ今日のコーチだ、はは(笑)」くらいの気持ちで見てくれたらいいなと思います。

動画を見てくれている人たちからの反応はいかがですか?

TikTokだと、最近は1,000件を超えるコメントを頂いたり、DMなどでも「さとゆりさんのあるある動画を見て元気が出ました」という声を頂きます。あと、40代の方に多く見て頂いていることにも驚きました。「タチカラ」という、お母さん世代の方が現役のときに使っていたボールのメーカーがあるんですけど…。まさか「タチカラ」世代の方にも共感してもらえるとは思ってもみませんでした。あとは、「『あるある動画』がきっかけでバレーボールを始めました」みたいなお便りも頂きます。少しずつではありますが、「あるある動画」をきっかけにバレーボールを始める方が増えてきたなという実感があって、すごく嬉しいですね。お笑い芸人として「笑い」を発信することで、バレーボール界だけに留まらず、バレーボールの楽しさに気づいてもらえるきっかけを作っていけたらと思います。

(ご本人提供)

子供達にバレーボールを教える顧問の先生達にも、ぜひ動画を見てもらいたいです。個人的に、バレーボールは行き過ぎた指導が比較的多い競技だとも感じています。熱血コーチとしてわざと大げさに怒った演技をした動画を投稿することもあるんですが…。それは、「行き過ぎた感じ」を芸人として気軽に出すことで、動画を見た指導者の先生達に「ちょっと自分言いすぎているかも…」と気づいてもらい、指導法を考え直すきっかけになればという気持ちもあります。

バレーボール芸人としてのこれから

コロナ禍で思うように活動ができない部活生へ伝えたいことはありますか?

コロナの影響で思うように活動できないという条件はみんな同じです。うまくなりたい、頑張りたいという気持ちを忘れずに過ごしてほしいですね。この自粛期間に頑張るか頑張らないかで、周りとの差が絶対についてきます。体育館が使えないなど、つらい状況はたくさんあると思いますが、めげずに頑張ってほしいなと思います。私も「あるある動画」を投稿したり、最近ジムに行って体を鍛えて頑張っているので、お互いに毎日コツコツと頑張っていきましょう。私の座右の銘は「継続は力なり」です。バレーボールを始めた当初、打とうとしてもボールが手に当たらないことばかりでしたが、毎日コツコツと練習することで上達していきました。継続した努力は、必ず自分に返ってきます。自分のペースで頑張りすぎず、努力をコツコツと継続していってほしいなと思います。

動画投稿のほか、今後やっていきたいことはありますか?

コロナが落ち着いたら、いろんな部活動に参加させてもらいたいなと思います。最近、体育館に行くと「さとゆりさんだ!」と声をかけてもらうことが増えて、「あるある動画」の撮影に協力してもらえることもあります。私から伝えられることをもっと増やして、「『バレーボールあるある』の人だ!」と認識してもらえるようになりたいですし、「バレーボール芸人=さとゆり」と覚えてもらえるようになりたいですね。自分の人生を振り返ったとき、私にはバレーボールしかなかったんですよね。それくらい、バレーボールと共にしてきた時間が長い。今度は自分がバレーボールに恩返しできるように活動していきたいですし、これからも身近にバレーボールとつながれる関係性でいたいなと思います。いつか「春の高校バレー」に関わる仕事ができるように頑張りたいですね。高校生ならではの熱い戦いが大好きなので。あとは、賞レースも!「女芸人No.1決定戦THE W」(日本テレビ)などで決勝に残れるくらいの実力をつけていきたいです。

最後にこの記事を読まれている方にメッセージをお願いします。

まだまだ芸歴3年目のかけ出しですが、バレーボールが今よりもっと人気スポーツになってほしいなと思って活動しています。もし、きっかけがあればぜひバレーボールを始めてみてほしいなと思います。私のSNSにもたくさんの「バレーボールあるある」動画を投稿しているので、それを見て、少しでもクスッと笑ってもらえたら嬉しいです。

取材後記

笑いの要素を交えながら、バレーボール愛を熱く、真剣に語ってくださったさとゆりさん。バレーボール経験者の筆者にとっては共感できる部分も多く、どんどんお話に引き込まれていきました。「頑張りすぎなくていい」。部活生に限らず、多くの方に響く言葉ではないでしょうか。さとゆりさんは、いずれコンビとして活動することも視野に入れているそうですよ!「体育会系出身の自分とは真逆のタイプと組みたい」ともお話しされていました。今後のさらなる飛躍に期待しています!

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