特集2022.10.18

陸上物語FILE25 “陸上界の応援団長” 大学三大駅伝三冠王の男 濱矢将直 

アスリートの生き様を尋ね、全国を回る〝陸上物語〟。
25人目のゲストは、かつて、日本高校記録(1500m)達成、神戸インターハイ(全国高校総体(1988年))優勝、さらに、大学三大駅伝(全日本、出雲、箱根)の三冠達成を果たした濱矢将直(はまや・まさなお)さん。
現在は、指導者として活躍中の濱矢さん。日本人選手が世界の舞台で活躍し続けるため、そして、陸上界の活気を次世代へと繋いでゆくために。未来の陸上界を盛り上げてゆくヒントをうかがいました。

本日は“裏”ではなく“表”陸上物語です

――本日のゲストは濱矢将直さんです。濱矢さん、今日は〝裏〟陸上物語(陸上物語がYouTubeにて不定期で更新している1分程のリール動画)ではなく、〝表〟の陸上物語のほうで!

(笑)。どうぞよろしくお願いします。

――濱矢さんの大変なサービス精神に我々も甘えていた部分がありまして…(笑)。「俺は裏ぐらいがちょうどいいから!」と言っていただいていたのですが、陸上物語史上、最も贅沢な空間をご用意させていただきました(笑)。

(笑)。

大学駅伝・三冠王の男の陸上物語

――日本高校記録(1500m)を達成されて、1988年の神戸インターハイ(全国高校総体)で優勝。そして、大学三大駅伝(全日本、出雲、箱根)を三冠されたメンバーの中にもいらっしゃって、〝これ以上ない!〟という実績を残されています。

僕が活躍できたのは人生で本当に短い期間で、2回ほど味わせてもらいました。1つは西脇工業高校3年生の時、そして、大東文化大学2年生の時。3年に1回の周期で味わせていただきました。

――西脇工業高校への進学はどういった経緯で?

中学3年生の途中までは、普通高校に行こうと思っていたんです。ですが、中学生生活の最後に、姫路城ロードレースという歴史ある大会に出場することに決めたんですね。この大会で優勝すると、本物の兜がもらえるので、「ええなぁ」という理由で…。晴れて、その大会で優勝できたのですが、その時に渡辺公二監督からお声掛けいただいて、西脇工業高校に入学することになりました。
あの…これ笑い話になると思うんですが、最初に渡辺監督から「お前、自分の名前を漢字で書けるか?」と聞かれて、「はい!書けます!」と答えたら、「じゃあ、西脇(工業高校への入学は)OKや」と言われて…(笑)。

――大変厳しい校風のイメージがありますが、高校生活はどうでしたか?

学校自体や校則は昔のスクールウォーズみたいな世界だったというか…(笑)。今はそういったことはないと思いますが、昔は加古川線の単線で電車がとまった瞬間にガァーっと窓を開けて掴み合いをするような(笑)。でも、陸上部だけは違っていましたね。

――どう違ったのですか?

電車に乗っている時から、校門をくぐるまで、監督に衛星中継で見られているような(笑)。もう、本当に昔の軍隊というか…それくらい厳しかったですね。試合会場で他校の選手と喋ってはいけないという規則もありました。

――それはどうしてだったんですか?

情報が漏れたり、チヤホヤしていること自体がダメで。ジャージズボンも、完全にインでしたね(笑)。紐がたらーんと出ていた瞬間に、50mくらい吹っ飛ばされるような雰囲気がありました。

――漫画ですね(笑)。

鉄拳があるような時代でしたからね(笑)。

――そんな厳しい環境の中、この前の裏陸上物語で、濱矢さんは電車の中でアイスクリーム食べられていたとお聞きしましたが…(笑)。

そうですね(笑)。(それがきっかけで)高校2年生の時に、インターハイの地区予選にメンバーとして選ばれていたんですが、一旦、退部ということで「帰れ!」と言われました。

――アイスクリームを食べただけなのに!

それくらい厳しい時代だったというか。水分もとってはいけないような時代でしたから。

――染み込んだタオルから、水分をとるんですよね?

トイレに行って、顔を洗うふりをして水を飲んだりとか、いろんなことをしました。ですが、常に厳しいという環境があったからこそ、自分でオンとオフの区切りや、トレーニングを組み立てる必要がありました。
やはり一学年に20人、30人と入ってくる高校ですから、最終的に生き残ることを考えたときに、怪我への注意だとか…。いろんなことを自分で考えなければいけない環境に置かれていたと思います。

――怪我と隣りあわせの競技ですもんね。自然とオンとオフを自己調整できる環境にあった?

しないと死んじゃいますよね(笑)。当時、さまざまな高校の選手から聞きましたが、西脇工業高校の練習量がナンバーワンだったんじゃないでしょうか。

――どのくらい走るんですか?

西脇工業高校には馬事公苑という馬が走るコースがあったのですが、そこで2時間ほど走れ!というような。しかも、そこまで行くのに7~8㎞あるんですよ!

――行くまでも大変!

行って、練習が終わったら、また帰らないといけないじゃないですか。また、1000m×10本を当時、2分50秒ほどでおこなう練習もありました。7本目くらいで、それまでずっと離れていた奴が勝負をかけに来るんですよね、一本でも先頭を取ろうと思って。
でも、それをこなしていくことで、競技に集中する練習ができたなと思っています。さらに、筋トレにもすごく力をいれていました。腹筋50回×5セットはあたりまえで、その後に、V字バランスや足を左右後ろに伸ばすトレーニングなど、腹筋のトレーニングだけでも、毎日1000回くらいはやっていたように思います。

――じゃあもう、部員皆さん、バキバキ?

バキバキですね!みんな、めっちゃスタイルが良かったです(笑)。シックスパックが流行する前から、西脇工業高校の子は脱いだら凄いみたいな感じでした。当時の校風も含めて、喧嘩するために鍛えているんじゃないか、みたいな(笑)。

――(笑)。そんな中、兵庫での全国インターハイ(1998年)を迎えられました。振り返っていかがでしたか?

私の場合は、県大会・近畿大会・全国大会のすべてが神戸ユニバーシアード記念陸上競技場だったんです。地元で有利でしたし、実家から通えたので、〝これで負けたらあかんやろ⁉〟という感覚がありました。なので、県大会の時から全国で勝つためにどういうレースを観客にみせていくのか、という組み立てを考えていました。
当時、5000mは4月の段階で全国ランキングトップで、1500mは2番だったんですよね。だから、どっちか(1位を)とりたいなと思っていて。もちろん5000mで優勝したかったのですが、そのためにどうやって県大会と近畿大会のレースをみせつけるか、ということを組み立てながらやっていました。

――それで見事に?

そうですね。みんな、ハマって騙されてくれましたね(笑)。

――騙される?!

当時は、ありがたいことに(自分の走りを)〝カミソリスパート〟と呼んでいただいていて(笑)。そういった走りの特徴をどうやって相手に印象づけるか、いうことが僕の作戦でもあったわけです。
実は、これは半年から1年近くの計画でおこなうんですよね。僕自身、陸上をやる中で、目立ちたいとか、勝ちたいとか、モテたいとか、いろんな思いがあったので…。やっぱり、キャーキャー言われたいじゃないですか(笑)。
なので、普通にインターハイに挑んでも勝てないだろうから、僕には絶対、誰にも負けない必殺技が必要だな、と。なので、さっきの1000m×10本の練習後に、1人で200m×6本という練習を毎日やったんですよ。どんな練習があっても、必ず200m×6本。そうすると、息があがっている中で走る1本、呼吸を整えた上で走る1本、それぞれのイメージがつかめるんですよね。そして、その200mの中でもゆっくりスタートしながら、〝この辺で切り替える!〟という瞬間を掴む練習をしていましたね。僕の中では、ダーっと行きながら、サイボーグ009(石ノ森章太郎による日本のSF漫画)の加速装置のイメージで、グッと力を入れ込んだときに、フォームを変えるような感覚でしたね。

――へぇ!

ラストスパートを上げていくだけです。スタート時のフォームから切り替えて、ある瞬間を境に、そのまま速くしていく。ある瞬間を境に、短距離のようなフォームに切り替えることで、一気にスプリントが上がって、ギアチェンジができるわけです。

――フォームを変える?

そうなんです!これをすることで、みんなが今までの流れを維持している中、僕だけが大きく加速できるので、差がつけられる。そして、ここで3~4mくらい後ろとの差を開けることが出来たら、もう勝てるんですよ。長距離で最後の苦しい時に、4mも大きく急にあけられたら、もう後ろの選手はフォームが崩れてしまうんですよね。

――確かに。

うわ!と思って、焦って追いつこうとすると、身体が開いてしまうんです。そうすると、スピードが出ないんです。だから、インターハイの記録を見てもらうと、僕、最後の200mの記録って、確か27秒ほどなんですよ。それで、最後の100mとかは12秒6ほど。

――へー!それを最後の最後に?

そう!他の選手たちは、僕より100mが速いんですが、最後の120mで3秒くらい開いているんです。僕で3秒ほど開いてしまっているので、彼らは15秒ほどかかっているんですよね。

――賢い!

〝濱矢は最後のスプリントでボーン!と行く〟というイメージをつけて、〝僕らは濱矢に勝てないよ〟と思いこませる。なので、地区大会の予選から絶対負けないように、最後の200mだけ大きく加速するレースを印象づけていました。

――伏線があるんですね。それって、監督さんのアドバイスだったのですか?ご自身で生み出されたのですか?

自分で生みだしました。そういう勝ち方が格好いいと思ったんです。

――モテたい、チヤホヤされたいというところから、頭脳を使って…!

そうですね。その必殺技を披露する場所としてインターハイは最高の場所でしたし、インターハイに照準を合わせた1年間にしようという自分の目標もあったので。自分の中でストーリーをしっかり描いていましたね。

必殺技って必要なものですか?

――西脇工業高校で活躍されて、大東文化大学からスカウト。そこから華々しい大学時代を送られたというお話を、過去の箱根解説動画、裏陸上物語でもお聞かせいただきました。あえて、ここからは指導者としてのお話を伺いたいなと思うのですが、〝必殺技〟というのは、やはり、どんな選手にも必要なスキルだと思われますか?

どの種目においても、短所を直していく作業は、すごく大変なんですよね。なので、自分の長所で武器になるような部分をしっかり伸ばしていくことのほうが、やっぱりテンションが上がっていくと思います。
僕(長距離)の場合、100mを一生懸命走っても12秒いくつなので、何回走っても記録があまり伸びないので、やっぱり全然楽しくないじゃない(笑)。でも、その12秒が1500m走る中で、最後の100mの加速に活かせたら、それは武器になる。
なので、特に中高生をみてきた僕の感覚でいうと、中高生ってものすごく可能性を秘めているのに、自分の身体をうまく使えていないだけなんですね。
僕がみていた三段跳びの子がいたのですが、ホップ・ステップ・ジャンプの脚がグンと伸びる部分で、記録が伸びるんですよね。そういったところに着目して、伸ばしてあげることが大切なんじゃないかと思います。やらせるというよりは、僕が教えながら伝えることで、彼らが自分自身で気づいて、そこを更に伸ばそうと頑張っていけるような環境をつくることが、重要だと思います。

日本人選手が世界で戦うためには?

――濱矢さんは、〝(ご自身は)日本ではトップだったけれど、世界で戦うところまではいかなかった〟とおっしゃっていました。指導者として、日本人が陸上で世界と戦っていくためには、〝こうしたほうがいい〟と思うことはありますか?

昔は日本の選手と海外の選手に体格差がありましたが、今の日本の選手たちは身長も高くて、随分と体格差がつまってきたなと感じます。ですが、長距離においては、逆に世界において日本勢が衰退しているように思います。かつては、日本人が世界におけるフルマラソンで勝てた時代もありましたが、今は勝てない。さらに、東京五輪で6位に入賞した大迫選手のような選手がたくさんいるわけでもありません。じゃあ、何が一番ダメかっていうと、あまり否定すると怒られちゃうかも知れませんが…ペーサー制度なんじゃないかと思います。

――本来、スタートから42.195㎞までのストーリを自分で作らなきゃいけないけれど、だいたい30㎞くらいまでペーサーがいますよね。

この間なんて、ゴールまで行ってましたよ。

――そんなこともありましたね(笑)。残り12㎞ちょっとを描くだけでは、オリンピックでは勝てない?

勝てません。フルマラソンは、ペースアップとペースダウンの駆け引きが最初からすごいんですよね。昔の(日本の)選手たちは、スタートからゴールまで、〝自分がどうやってゴールするか?〟というストーリーができあがっていたので、42.195㎞を走りきれたんです。
ですが、今の選手たちは、ほとんどの大会において、ペーサー制度で20㎞~30㎞ほどまで、タイムを出すためだけに一定のペースで引っ張っていってもらって、最後の10㎞でギアを入れる。僕の感覚としては〝こんなのはフルマラソンじゃなくて、10㎞レースやろ?”と思ってしまうんですよね。
もちろん、記録を狙うレースもあって良いと思います。ただ、スタートからゴールまで、選手自身がストーリーをつくりあげて、走りきれるレースをやれていなければ、世界陸上に行っても、五輪に行っても、結果が出るわけがないと思います。
高橋尚子さんのレースにも、サングラスをポーンと放って、スプリントかけて、〝今から行くぞ〟というシーンがありましたよね。彼女も自分自身の中で、ストーリーができあがっていらっしゃったのではないかと思います。

――勝負強さは1日で築けるものではありませんから、日頃から訓練が必要。だとすると、ペーサーがいるレースもあって良いけれど、それとは別に、スタートから勝負できるレースがもっと増えたら、と?

そうですね。そうしないと、経験が積めませんから。前々回の五輪で、ある選手が「もう、スタートからペース変化についていけなくて…」とおっしゃっていましたが、そんなことは、最初から分かりきってることだと思うんです。僕は、今の陸上界に対して、記録は出ていますが、勝負強さは足りなくなっているように感じます。ペーサー制度をやり始めた方に大変怒られてしまったので、あんまり言っちゃいけないのかもしれませんが…(苦笑)。

濱矢監督、ゴリ押しの"十種競技"

――濱矢さんだからこそ、伝えられることがあるとは思いますが…(笑)。話は変わりますが、私たちは、陸上物語を通じ、花形種目だけではなく、皆さんに陸上競技におけるさまざまな種目の魅力について知っていただきたいなという思いがあるのですが…。その魅力について、私たちはどうやって伝えていくべきでしょうか?

例えば、長距離が人気を博す理由の1つには、人々にとっての〝身近さ〟が関係しているのではないかと思っています。学校でマラソン大会に出場したり、お正月に箱根駅伝があったり…。ワイドショーには、青山学院大学の原監督も出演されていたりしますよね。陸上についてまったく知らない人にも、情報が入ってくる。でも、十種競技や幅跳びとなると、人々の馴染みの浅さもあって、なかなかスポットライトが当たらないんですよね。でも、僕自身が最高に好きな種目は、実は十種競技なんです。

――今、少しヒントを得たように思うのですが、濱矢さんのような中・長距離の選手や、陸上の花形種目である100mの選手が、十種競技の魅力を語るだけで、その選手のファンの方たちにも、〝十種競技を見てみようかな〟と思ってもらえるきっかけを提供することができると思うんです。

そういったアプローチの方法もあると思います。僕には、十種競技だけでなく、他のフィールド競技も見てほしいなという気持ちもあります。例えば、やり投げの(やりが)とんでいく瞬間の回転の仕方や、地面に刺さる瞬間、幅跳びの助走が乗ってきた瞬間に足が噛み合う角度や空中の姿勢など、細かいところを見ていくと、堪らなく面白いんですよね。なので、全部の種目を網羅できている十種競技の選手は、僕のスーパースターであり、ヒーローなんです!

――まさに、十種競技がキングオブアスリートやクイーンオブアスリートといわれる所以ですね。

(陸上界の)総合格闘技といってもいいんじゃないかと思います。年末の12月31日にボクシングをやるよりも、十種競技を1日でやるとかね(実際は2日間で競技がおこなわれる)(笑)。

濱矢将直=陸上界の松岡修造

――競技の実績もおありで、ランニングアドバイザーやジュニア選手への指導もされていますが、それ以上に、濱矢さんは”陸上界の応援団長”という役割を担われているように感じます。まさに、”陸上界の松岡修造さん”のような…!

松岡さんのような、世界での成績は残していませんが、僕もすぐに熱くなりすぎて、泣いちゃうんでね(笑)。ただ、陸上界の長距離は、箱根駅伝のような”身近さ”のお陰で、あれだけの注目と種目の認知度向上や普及がすすんでいるんだと思います。十種競技やフィールド競技も、すごく面白いんです。だから、そういった種目にこそ、スター性が光る選手がいても良いんじゃないかと思います。

濱矢監督にとって、陸上競技とは?

――濱矢さんにとって、陸上競技とは?

最高のスポーツだと思っています。走ることって、すべての基本なので、”基本を極める”という意味で、そういった存在(最高のスポーツ)であると感じています。
また、陸上競技をはじめ、運動というのは、普段の生活にワンクッションいれることができる存在であるとも感じています。
7~8年前から、アミーゴスという自閉症の子どもたちの陸上チームをみているのですが、子供たちが自由に走ったり、気持ちよく汗を流してくれている姿、そして、その子どもたちを24時間365日、見守っている家族の皆さんとかかわってきました。
なかなか、気持ちを切り替えられる部分が生活に無い中で、アミーゴスに一緒に来ていただくことで、普段と違う生活をワンクッション入れて頂けているんじゃないかと感じています。障がいを抱えている子どもたちももちろんですが、そのご家族の皆さんへのケアについて目線を置く活動は、これからも大切にしていきたいなと思います。

――陸上競技の応援団長として、これからも陸上を盛り上げていっていただければと思います!本日は、ありがとうございました。

ありがとうございました!

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※この内容は、「一般社団法人陸上競技物語」の協力のもと、YouTubeで公開された動画を記事にしました。