特集2022.12.09

輝くステージは競技、そしてビジネスにも! キャリアをみつめるすべての現役アスリートたちへ 人材業界で新たなゴール目指し駆け抜ける! 元・駅伝トップランナー菅野七虹

〝スポーツ×〇〇〟をコンセプトに、スポーツにかかわる⼈々の〝熱い想い〟をつたえるメディア、GrowS。今回お話をうかがったのは、人材派遣事業を中心にビジネスを展開する株式会社リクルートスタッフィングで、社員として活躍する菅野七虹(かんの・ななこ)さんです。華々しい賞歴の数々で女子駅伝界に名を馳せた元・長距離ランナーでもある菅野さん。高校・大学・実業団まで続いた競技人生を経て、ビジネスパーソンとしての新たなキャリアスタートを決断し、現職在籍4年目の今に至ります。「競技生活時代と比べても、大きな充実を感じている」と話してくださった菅野さん。競技生活時代のお話からキャリアチェンジの転機、株式会社リクルートスタッフィングでの活躍や今後の展望について、スポーツ×キャリアの視点からお話をうかがいました。デュアルキャリアやセカンドキャリアに迷える現役アスリートのみなさん、必見です!

〝駅伝で華の一区を〟―陸上競技に思い馳せ、駆け抜けた青春時代

陸上競技を始めてから、現在のキャリアに至るまでの経緯について教えてください。

菅野七虹さん(以下、菅野さん):テレビ局主催の「大文字駅伝」への参加がきっかけで、小学6年生の時に陸上競技を始めました。進学した地元の中学校には陸上部が無く、中学3年間はソフトテニス部に所属していましたが、「将来は、立命館宇治高校に進学して高校駅伝に出たい」という目標があったので、週に一回、地元のクラブチームの練習に参加したり、大会に出場したりすることで、陸上を続けていました。その後、一般入試で立命館宇治高校に入学し、陸上部に入部しました。そのまま立命館大学に進学後、大学3年生の時に全日本実業団駅伝の強豪・豊田自動織機への入社が決まり、実業団選手としての生活を送りました(2017年―2019年8月)。その後、キャリアチェンジを決断し、株式会社リクルートスタッフィングに入社し、現在は、顧客と派遣スタッフを繋ぐ営業を担当しています。

女子駅伝の強豪・立命館宇治高校の陸上部に入部してから、本格的な陸上人生がスタート。その後も立命館大学、豊田自動織機と強豪チームを渡り歩かれた競技生活、そしてビジネスパーソンとしての新たな幕明け。ご自身の軌跡をふりかえってみて、いかがですか?

高校時代の菅野さん(写真中央)(写真/菅野さんご提供)

菅野さん:立命館宇治高校陸上部に入部するまで、朝練習もしたことがなければ、10分間以上、連続して走ったこともなかったので、まずは30分走れるようになることや、腹筋ができるようになること、といった基礎的なところからスタートしました。基礎体力の補強から始まった競技人生だったものの、「高校駅伝のレギュラーになりたい」という気持ち、「駅伝の〝華の一区〟を走りたい」という気持ち、そして「全国制覇したい」という気持ちが、自分の中で大きな目標へと育ち、競技生活を続けていくモチベーションになりました。その後、高校2年時より陸上部の主将に選ばれ、晴れて最終学年時に駅伝で全国制覇し、優勝することができて、有終の美を飾れたことはとてもいい経験になりましたし、競技者としての自信にもつながりました。

大学時代の菅野さん(写真/菅野さんご提供)

立命館大学では、個人種目以外に駅伝もレギュラーで出させていただいており、 大学3年生になる前にキャプテンの役割もいただきました。キャプテンとしての役割を担ったことで、競技者としての成長はもちろん、人前で話すスキルや、人の悩みに対して当事者と同じ目線で真摯に向き合う力が培われました。その力が、現職での企業の方々に対する意思表示や派遣社員の方々への聞き取り、そして悩みの吸い上げなどに活きているので、競技者生活にひたむきに打ち込んだ結果、ビジネスにもしっかり活かせるスキルを培うことができたと感じています。

実業団での選手生活に関しては、〝みんなで協調性をもってやっていく〟という部分に重きを置く学生スポーツとのギャップを感じた、というのが正直な感想でした。やはり、実業団はプロの集まりなので「チームでの協調性と同じくらい個に重きを置いているな」という印象で、環境に慣れるまでにはだいぶ時間がかかりました。朝6時から7時半くらいまで朝練習をして、9時~12時まで社業に携わり、その後、午後3時から19時くらいまで練習…というのが、1日の基本的な生活ルーティーン。そんな実業団生活を2年半ほど送った頃、怪我で2・3か月走れなかった時があり、今後のキャリアについて真剣に考えるタイミングとなりました。リハビリをおこないながら、求人情報を眺めていた際に、現職の株式会社リクルートスタッフィングと出会いました。当時、就職活動が未経験であったことから、「社会人として経験すべきことができていない」と感じてしまう焦りや「就職活動をして新たな一歩を踏み出してみたい」という気持ちが強く、実業団には残らず、就職することを決断しました。

陸上選手からビジネスパーソンへ―きっかけは〝自己成長のための現役引退〟

自己成長のためのセカンドキャリアを考え始めたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?

菅野さん:引退後のセカンドキャリアについては、実業団に入ったタイミングから考えていました。「オリンピック出場が自分にとって現実的かどうか」といったことも含め、「自分は実業団でどのくらいの成績を残せるのだろうか」ということが、だんだんとわかってくるところもあって…。「引退後、いつか社会に出た時に自分はどうなるんだろう」という漠然とした不安は、いつも抱えていたと思います。オリンピック出場という目標を掲げ、豊田自動織機に入社したものの、「オリンピック出場は自分にとって現実的ではなさそうだ。それなら、いつ動こうか?」という感覚をもって、次のキャリアについて考えていました。また、私が所属していた実業団は、良くも悪くも、戦力外通告のようなものがなかったので、成績が揮わなかったり、駅伝レギュラー外でも競技を続けられ、引退しても、社員として会社に残る選択肢をいただけるので、ありがたい環境に甘えることができてしまう。「はたして、これで〝陸上でお金を稼いで食べている〟と言っていいのかな?」と思ったことが、本格的にキャリアチェンジを考えるきっかけになりました。

これまで陸上一筋で、競技と向き合ってきた菅野さん。はじめての就職活動は、どのようなことから始めましたか?

菅野さん:まずは、スポーツ選手のセカンドキャリアを応援するエージェントも含め、全部で4社ほどの大手就職支援エージェントに登録しました。中でも、1番親身に対応いただいたのが、リクナビさんだったので、興味を持って調べていく内に、「自分もリクルートグループに行きたい!」と思うようになり、リクルートグループの面接をとにかく片端から受けました。そんな中、1番早く内定をもらえたのが、現職の株式会社リクルートスタッフィングでした。面接官の言葉に感銘を受けたことも競技生活からのキャリアチェンジという決断の後押しとなり、現役を引退しました。最初は、契約社員としてキャリアをスタートさせ、2022年4月から正社員として勤務しています。

現役引退から間髪入れず、ビジネスパーソンとしての道を歩まれたんですね。セカンドキャリアを選択する上で、職種などは決めていましたか?

菅野さん:まったく決めていませんでした。ただ、絶対に外したくない条件として、「あの子、現役引退後もしっかり社会人として頑張ってるな」と現役で陸上を頑張っている人から見てもらえるようなネームバリューのある会社に就職すること、そして、社員の人柄も含め、自分が働きたいと思える環境であるかどうかということは、大切に考えていました。「20代しか、こんなことできないな」とも思っていましたし、動き出したタイミングもコロナ禍前だったので、いい時期に就職活動ができたなと思っています。

「他のフィールドでも活躍できる力がある」―自分の伸びしろに目覚めたセカンドキャリア

株式会社リクルートスタッフィングへの就職の決め手や、現在担当されているお仕事について教えてください。

菅野さん:実は、面接官であった当時の支社長も、もともとJリーガーを目指されていた方で、スポーツと縁が深い方だったんです。その方から、「続ける勇気よりも、辞めることのほうが勇気がいることだったと思う。チャレンジしてくれてありがとう」と、あたたかい励ましの言葉をいただいて…。また、「(リクルートスタッフィングでは)菅野さんが成長できるような環境を整えられると思うから、陸上時代のような華々しい業績を、今度はビジネスマンとして、ここで一緒につくっていきたい」と言っていただいて、「絶対、ここで頑張りたい!」と、支社長にお会いしたその日に、就職を決めたという感じでした。「陸上だけにすべてを注いできた自分にも、他のフィールドで活躍できる力があるんだ」と気づかせていただけて、すごく嬉しかったです。現在は、主に営業担当として、担当する大手企業(15~20社ほど)で就業されている派遣スタッフの方の就業フォローをおこなっています。毎月、既存の大手企業の拡販、そして入社された派遣社員の方の就業フォローも、並行しておこなっています。

陸上一筋で競技に打ち込んできたからこそ、他のフィールドでも活躍できる力があると気づけることで、視野も広がり、モチベーションアップにも繋がりますよね。本格的にビジネスパーソンとして舵を切られてから、苦労したことやギャップに苦しんだことはありましたか?

菅野さん:そうですね。特に実業団に所属していると、半年ほどが合宿期間となるため、チーム内の人とのかかわりが中心となり、外の世界のことが見えにくい状況に陥りやすい。 なので、デュアルキャリアやセカンドキャリアを考えるアスリートにとって、外部との交流を図る機会をつくる努力を心掛けることは、すごく大切なことだと思います。未経験の分野への第一歩には不安がつきものですが、ある意味、変な先入観なく取り組めて、結果も出やすいのかなと思います。なので、まずは、怖がらずに一歩踏み出して、チャレンジしてみるということが大切だと思いますし、引退後に動き出すのは、少し遅いようにも感じるので、現役選手時代からしっかりアンテナを張っておくことも大切だと思います。 また、私が入社したタイミングは、ちょうど会社の新規拡販のための増員の段階だったので、前任の方がいませんでした。スタートアップの段階での入社だったので、(入社後)半年間は結構しんどかったですね(笑)。更地を耕して、新規を獲得していくフィールドは想像以上に過酷ではありましたが、そこで足腰が鍛えられたという感覚もありましたし、当時の根性や忍耐力が、今の業務にも生きてきているなと感じるので、いい経験ができたと思っています。

慣れない環境の中でのたくさんの苦労…。その中で、どのように働きつづけることへのモチベーションを保たれていたのでしょうか?

菅野さん:リクルートスタッフィングは、0からキャリア構築していける風土で異業種からの就職もとても多い環境です。例えば、私のような元アスリートもいれば、販売員だった方もいますし、教師だった方もいて…。そういった意味では、もともと完成されたビジネスマンばかりではないというところに、少しばかり安心感を抱いていた部分もありましたし、お互いに励まし合いながら支え合っていけた、という感覚もありました。リクルートスタッフィングの派遣営業は様々な年齢・経験の方に伴走する仕事のため、営業未経験でスタートしたとしても、過去の様々な経験を強みに変えることができます。そうして、大いに飛躍している周囲の仲間をみて、「自分もやるぞ」という気持ちに繋がっていました。また、私は契約社員からのスタートだったので、「正社員登用されたい」という目標が1番大きなモチベーションになっていました。性格上、惰性で物事に取り組むのではなく、何かやるからには「ここまでいきたい!」とか、「やり切りたい!」という目標がないと続けられないと思っているので、「入社した時に決めた目標に向かって、ひたすら頑張る!」というモチベーションで頑張っていました。

人材業界は〝人生を懸けてスポーツに挑んだ人〟こそ輝くビジネスステージ

目的意識こそ、菅野さんのモチベーションの源なんですね。仕事をしている中で、どんな瞬間がご自身の充実感を高めてくれているなと感じますか?

菅野さん:目標の数字を達成できた瞬間や自分が新規で開拓した顧客がどんどん大きくなっている実感を得たときに充実感を感じます。営業という部門は、競技で成績を上げることに拘ってきた自分に向いているのかなと思います。そして何より、スタッフの方や担当したクライアントの方から「菅野さんが担当でよかった、ありがとう」と感謝されることが大きなやりがいに繋がっています。また、私の昔の活躍を知って下さっているお客様と、ビジネスというフィールドで新たな人間関係が構築されることもあり、とても新鮮で楽しいですね。あとは、競技者時代と比べて、プライベートの時間が確保できて、仕事との両立をはかれることも、大きな充実感に繋がっているなと感じます。

プライベートでライブ鑑賞を楽しむ菅野さん(写真左)(写真/菅野さんご提供)

菅野さんの今後の展望を教えてください。

目標に向かって日々努力を重ねる菅野さん。通期表彰や新人教育に力を注ぎたいと話す。(写真/菅野さんご提供)

菅野さん:直近の目標として、今は全社の通期表彰に向けて頑張っています。去年は推薦もしていただいて、いいところまでいったのですが、残念ながら獲得までは一歩及ばなかったので、今年こそは…!と思っています。また、現職の在籍年数が4年目に入ったのですが、教育係をまだ経験したことがなく、この度、新しい方が入社されるので、その方をしっかり育て上げられるように頑張りたいなと思っています。スポーツ選手として、何か一つの道に対して頑張ってきた人にこそ、向いているフィールドだと思うので、興味があれば、ぜひリクルートスタッフィングへの就職を考えていただけたら嬉しいです。この会社で活躍して、会社にも家族にも、しっかり恩返しできたら思っています。

(取材/高橋麻菜美・文/秋山彩惠)