特集2023.02.27

「自分が入ることでチームを強くしたい」高みを目指し続ける努力術 ―法政大学(4年生)・星野凌太朗選手

学生屈指のスピードスターと称される星野凌太朗(ほしの・りょうたろう)選手(法政大学4年生)。引退試合での悔しい経験を胸に、この春からは東京ガスに就職し、クラブチームである東京ガスクリエイターズでの競技続行を決意しました。セカンドキャリアを意識しながらも「自分が入ることでチームを強くしたい」と、競技者としての成長も追い求める星野選手。座右の銘である“継続は力なり”を結果として形にしつづけ、大学入学時から試合出場経験を積む一方、学業との両立にも力を注いできました。そんな星野選手の文武両道のカギは、法政大アメフト部ならではの〝組織システム〟と〝空き時間の過ごし方〟だと話します。コロナ禍が落ち着きを見せ始めた今、〝スポーツと学業・就活の両立〟や〝勝つためのチームマネジメント〟に新しい風を吹き込みたい、そんな学生アスリートの皆さん、必見です!

「自分でもこうやって活躍できるんだな」デビュー戦で独走!スピードスター・星野凌太朗選手がアメフトにハマった原点

Q.大学までの競技歴は?
小学生の時は剣道と野球をやっていました。小学校が終わるタイミングで剣道は辞め、中学生時代は野球をやっていたので、アメフトを始めたのは高校生からですね。

Q.幼少期にスポーツを変えた理由は?
剣道は、もともと兄がやっていたので、それについていく形で始めました。一方、野球は、自分自身が「やっていて楽しいな」と思ったので、剣道と並行してやっていました。中学に上がるタイミングで、「甲子園を目指したい」と考えていたので、日大三中という野球の強い中高一貫校で、野球を続けようと思っていました。

▲野球に打ち込む中学時代の星野選手

Q.実際に高校ではアメフトを選んだ理由は?
日大三校は甲子園常連校と言われるだけあって、中学生から始めていてもレギュラーやメンバーに選ばれないこともあったので、「自分の実力を知ってしまった」じゃないですけど…そこで、野球に対しては一度、区切りをつけました。その時、中学時代の野球部の先輩が高校のアメフト部に入っていたので、お誘いを受けたことがきっかけです。やってみると楽しくて、どんどん魅力にハマっていった感じですね。

Q.高校時代、一番印象的だった試合は?
入部後初の試合ですね。アメフトって「いろんな人が活躍できるスポーツだな」と感じていて…。当時、自分はスピードに自信があった中、その試合で長い距離のタッチダウンを取ることができて、「 自分でもこうやって活躍できるんだな」っていうふうに思って。そこから「アメフトって楽しいな」と思えて、どんどん試合や練習を重ねるうちに、さらにアメフトにハマっていくきっかけになりました。
       
Q.法政大学というフィールドで競技続行を選んだ理由は?
当時、まだ法政大学アメフト部は甲子園ボウルに2012年度以降なかなか行けなくて、毎年関東3位くらいの上位に入るようなチームだったので、伸びしろを感じていました。また、ユニフォームがかっこよくて憧れもありましたし、学内設備もすごく充実していて…。「競技に打ち込める環境だな」というふうに感じたので、法政大学を選びまし た。

Q.実際に入部してみて、星野選手が感じた法政大学アメフト部の魅力は?
やっぱり、一番は〝チームワーク〟だと思っています。体育会って上下関係とかが厳しいと感じているんですけど、法政のアメフト部は〝フラット〟というのを掲げていて、学年関係なく意見しやすい環境作りを推進しています。先輩方ともコミュニケーションを密にとれるので、アメフトに関することも聞きやすいですし、アメフト以外のことでも仲良くなれたりするところが、技術の向上にも繋がっていますし、チームとしての魅力だなと感じています。

Q.大学時代、一番印象的だった試合やプレーは?
大学1 年生の時のリーグ最終戦です。そこで勝てば甲子園ボウルにいけるっていう試合で、最初に自分がリターンタッチダウン(相手のキックオフボールをキャッチし攻守交替、そのままタッチダウンするプレー)できたことが印象に残っています。その後は自分のミスもあり、結果としては負けてしまったんですけど、いろいろ考えさせられた試合だったので、すごく印象的でした。

▲アメフトに打ち込む大学時代の星野選手

「アメフトはコミュニケーションがプレーに直結するスポーツ」悔しさをバネに意識した〝チームをまとめる会話”の重要性

Q.上級生になり〝チームをまとめる立場〟として変わったことは?
下級生の時は自分のプレーに精一杯だったっていうところがあるんですけど、1 年生から試合に出場させていただく経験が多かったので、経験値に関しては自分の中でも身についたんじゃないかなと思います。
先輩方は後輩がプレーしやすい環境を作ってくれていたので、3年生以降は「チームにどんどん貢献していかないとより良いチームにならないな」と思っていました。先輩方と話したとき、〝会話〟することで成長に繋がる部分がたくさんあり、自分も上級生になったら〝いかに下級生が上級生と会話できる環境を整えるか〟というのが大事だと思っていたので、チーム全体でも意識するようにしていました。やっぱり、アメフトはコミュニケーションがプレーに直結するスポーツなので、試合や練習後のミーティングでの会話も含め、コミュニケーションの部分をしっかり心掛けていましたね。

Q.規模感のあるチームをまとめる上で大変だったことは?
例えば、怪我した選手とかに声をかけ、怪我をしたことでアメフトへのモチベーションを失くすのではなく、「どんどんチームの勝利に貢献する姿勢を持ちたい」と考えてもらえるようにすることを、意識しながらやっていました。もともと、僕は人前に出て発言するタイプではなくて、どちらかというとプレーで引っ張るタイプだったので、あまりチームをまとめたりすることは考えていなかったんですが、3年生の甲子園ボウルで悔しい負け方をして、「このままじゃ良くないな」と思って「自分がチームを引っ張ろう」と思い、ラストイヤーは副将としてチームを引っ張る役割を担いました。

▲同期幹部との写真(左から2番目)

Q.引退試合を終えて、いかがですか?
その試合は1クォーターの最初の方で脳振盪になってしまい、最後までプレーできなくて…。前半まではなかなか会話することも出来ず、ベンチにも戻れずにいました。後半は、もう試合には出られないと決まっていたんですけど、その中でいかにチームに貢献できるかを考えて、積極的に声かけをおこなっていました。4年間、個人としてはすごくいい思いをさせてもらったけど、チームとしては日本一になることができず、最後の試合も〝勝てば甲子園ボウルに繋がる〟という大事な試合で、自分が出られず、結果的にチームも負けてしまって、すごく悔しかったです。「自分が出場してチームの勝利に貢献したいな」っていう気持ちがすごくあって、1年生の時のリーグ最終戦で感じた悔しい思いや同じミスをしないように、「4年生になったら、気持ちをぶつけて絶対勝ちたいな」と思っていたので、なおさら、そこで試合に出られなかったというのはすごく悔しかったですね。

Q.星野選手が感じている後輩の成長や今後のチームに期待していることは?
試合には負けてしまいましたが、引退試合では下級生が活躍してくれて、数多くのいいプレーがありました。今後のチームが楽しみになる要素が多かったので、頑張ってもらいたいなと思います。特に、自分のポジションの後輩の岩田と新井は、3年間一緒に共にプレーしてきたので、中心となって頑張っていってほしいと思います。

▲ランニングバックのメンバーと(左から3番目)

「空いた時間に少しずつやっていく」部活も学業も疎かにしない!両立を可能にしたタイムマネジメント

Q.体育会の活動と学業や就活…星野選手はどのように両立を?
法政大アメフト部は「1年生に雑用をやらせない」という決まりがあり、掃除や練習の準備は上級生が率先して行うことで、下級生こそ学業に集中してもらおうという環境が根付いていました。1・2年生の間にしっかり単位を取って、3・4年生でフットボールに集中しようという考え方だったので、下級生の時は週6で練習に力を注ぎながら、午前中にしっかりと授業を入れて単位を取るようにしていました。上級生になると、ほぼ練習に影響が出ないようにすることができたので、両立させることができました。

Q.両立のために星野選手が意識していたことは?
ミーティングが入ると、夜の10時半~11時に帰宅することになるので、なかなか勉強する時間がありませんでした。なので、授業が終わってから部室に向かう間の移動時間で課題をするなど〝空いた時間に少しずつやっていく〟という意識がすごく大切なのかなと感じていました。時間がない中、課題をやることは難しいことですが、そこをどうにか工夫してやらないと、部活か学業かのどちらかが疎かになってしまいます。


▲大学1年生時の星野選手の1日のスケジュール

「まだまだ上を目指せるチームに入って、自分の活躍がチームの勝利に結びつくほうが面白い」キャリア選択を支えた軸

Q.いつから東京ガスクリエイターズで社会人選手として競技を続ける選択を?

3年生の後半、同期が就活を始めている時期、〝今後、本当に自分は何をするべきか〟や〝アメフトを続けるか続けないか〟について迷っていました。そんな中、いろんな選択をされた先輩方の話を聞いて、 自分が1番大切にしようと感じたのが、〝セカンドキャリア〟についてでした。
もちろん、今に集中することも大切ですが、競技人生を終えてからの人生のほうが長いと思うので、そこを意識すると「東京ガスへの就職が一番自分に合ってるんじゃないかな」というふうに考えました。東京ガスクリエイターズは、社会人フットボールチームではまだ上位に組み込めるようなチームではないけれど、自分が法政大アメフト部に入った時も「なかなか勝てないチームの中に入って、自分が強くすることで甲子園ボウルに連れていこう」みたいな気持ちもあったので…。社会人チームでも同じような気持ちで取り組めたらいいなと思っています。

Q.キャリアを決める上で参考になった先輩の言葉は?
「アメフトを辞めて社会人になっても、絶対にやりたくなる」という言葉です。僕自身も、大学4年間はアメフトだけに注いできたので…。それが無くなると思うと、何か物足りなくなるんじゃないかなというふうに感じていたので「やっぱりアメフトは必須だな」と考えるようになりました。
先日、日本代表の 最終選考があり、僕は落選してしまったのですが、その時に社会人チームトップレベルの富士通さんやパナソニックさんの選手と一緒に練習する機会があり、とてもいい刺激をもらいました。
勝負に勝つことの大切さや、社会人フットボールに力を注ぎ、技術を研鑽させていくことが人生においてすごくプラスになるんじゃないかと感じています。もちろん、トップレベルのチームに入って勝利を重ね続ける難しさもあると思いますが、成長半ばの状況で上を目指すほうが自分には向いていると思います。まだまだ上を目指せるチームに入って、自分が活躍することでチームの勝利に結びついたほうが面白いんじゃないかなと感じています。

「努力を積み上げていった先に、活躍や反省点の克服がある」常に上を目指すため意識し続けた〝継続は力なり〟

Q.星野選手が大切にしている言葉は?
〝継続は力なり〟という言葉をずっと意識しています。地道に努力することってすぐに結果には繋がらないかもしれないけど、その努力の過程というものが自分自信の成長に繋がることを、大学4年間で学びました。

Q.学生時代のアメフト競技生活を振り返って「〝継続は力なり〟を意識して良かった」と思う瞬間は?
前の試合での反省課題を、次の試合で克服できた時です。練習や試合の時の反省点を挙げて、次の実戦までにするべきことを考えるようにしていました。努力を積み上げていった先に、次の試合での活躍や反省点の克服が叶ったと思うので〝継続は力なり〟をしっかり体現できていたのかなと思います。

▲9年ぶりの甲子園ボール出場時の星野選手

「慣れない中でも必死に喰らいついて、自分の能力を発揮していく」学生時代の両立活かし、アスリートとしても社会人としても一流に

Q.社会人チーム競技者としての目標は?
社会人チーム競技者としての目標は、しっかりスタメンとして出場することで、チームがベスト4に残れるように活躍することです。競技生活に仕事も入ってきて両立が大変になってくると思うので、さまざまな方に支えていただきながら、自分のスキルをしっかり活かして両立したいと思っています。

Q.これからファーストキャリアを歩む社会人としての目標は?
仕事となると、学生時代の学業とはまた違った感覚だと思うので、最初は慣れないと思うんですけど…。その中でも必死に喰らいついて、自分の能力を発揮していけたらと思います。大学4年間で学んだ経験を、社会人になっても活かしていけたらいいなと思っています。

Q.星野選手が描く今後のキャリア像は?
2028年に開催されるロサンゼルスオリンピックで、フラッグフットボールが競技として採用されるかもしれないという話があがっています。自分にオリンピックに出場する機会は絶対に訪れないと思っていましたが、可能性があるなら、ぜひ目標にしたいなと思っています。その時には28 歳なので、競技者としてのコンディションとしてもいい時期だと感じています。アメフトはコンタクトスポーツなので、怪我や年齢にも留意しないといけないと思うのですが、アメフトでも仕事でも、一流の結果を残せるような人材になれたらいいなと思っています。

星野凌太朗選手から〝文武両道&キャリア選択に懸ける学生の皆さん〟へ 

▲星野凌太朗選手から応援メッセージ


学生時代にスポーツを通じ、集団で生活していく中で、コミュニケーションやさまざまな立場の方との接し方についてなど、社会人生活でも活用できる学びはたくさんあると思います。僕はまだ社会に出ていませんが、周りにいる多くのアスリートの方々が社会人としてもしっかり活躍されているという話を聞くので、大学生活4年間、スポーツを通じて培われるスキルは、社会人生活の中でも大いに活かせるものだと実感しています。今、みなさんの目の前にある〝目指しているもの〟に全力を注ぐことが、自然と自分自身の成長や就活をしていく上でも、大きく役立つと思いますので、まずは目の前のことに集中して、全力で頑張ってください!