小学3年生から社会人2年目まで野球一筋で活躍、現在はビジネスパーソンとして会社員と自社代表取締役の二足の草鞋で活躍中の國正光(くにまさ・ひかる)さん。「その人がその人らしく生きていけるようにお手伝いしたい」そう話す國正さんも、かつてはアスリートからのキャリアチェンジで思い悩んだ1人でした。野球に懸けてきたバックグラウンドをはじめ、アスリートだからこそ培ってこられたスキルやキャリアを社会で輝かせるためのヒントを、前編・後編にわたって紐解きます。(写真:株式会社イニアスの皆さんと國正さん(写真中央))
目次
PROFILE【國正光】
1991年生まれ、神奈川県出身。小学3年生から社会人2年目まで野球を続け、怪我を機に現役を引退。現在は株式会社リクルートにて人事採用業務に従事する傍ら、「人が熱中できるきっかけとなる場所を創りたい」との思いから、株式会社iniasuにて代表取締役をつとめる。
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会社員と自社代表 情熱から生まれた〝2足の草鞋〟という選択
自己紹介をお願いします
國正光といいます。神奈川県出身です。小学生から大学生、そして野球部員として入社した(株)カナフレックスコーポレーション(以下、カナフレックス)で社会人選手としてプレーしましたが、怪我を機に引退し、そこからビジネスパーソンとしてのキャリアに集中するべく、野球人生に区切りをつけ、転職をしました。今は、株式会社リクルート(以下、リクルート)で正社員として働きながら、株式会社iniasu(イニアス) という会社を経営しています。
本業のリクルートではどんなお仕事をされているんですか?
最初は契約社員という形で人材紹介の事業部で法人営業として中小企業の採用支援に従事していたのですが、正社員登用をしていただいたタイミングで、2021年から人事の仕事をしています。
実は僕、現役の就活時代に一度、リクルートから内定をいただいていたんです。当時、野球を頑張りたいという思いから結果的に内定を辞退させていただく形になってしまったのですが、会社全体で成長していこうという社風や、会社とは別の場所でのキャリアメイクを応援するという雰囲気が、当時からすごく自分自身にフィットしているなと感じていました。
「自分で決めた」が野球人生の始点に
野球を始めたきっかけを教えてください
地元の神奈川県平塚市にある山下少年野球部という、ごく普通の地域の少年クラブチームに入ったのが、野球を始めたきっかけです。
結果的に社会人までずっと野球を続けることになったのですが、入部当時は強いチームに入って自己研鑽していこうというよりは、単純に仲のいい友達と一緒に野球ができることが楽しいという感覚で始めました。
野球を始めた当初について、印象に残っていることはありますか?
僕の実家は医者家系なのですが、教育に熱心だった祖父の影響もあって、小さい頃から勉強が中心の生活でした。誕生日プレゼントやお正月のお年玉も、トムソーヤの冒険やファーブル昆虫記といったような本でしたし、夏休みに祖父母の家に行くと、ドリルが山積みに置いてあって、それが終わるまで甲子園がテレビで観られないという環境で…(笑)。
そんな環境で育った僕が、初めて自分の意思で「これがやりたい!」と意思表示したのが、野球だったんです。祖父は厳しかったのですが、両親は勉強だけでなく、さまざまな世界に触れる経験をたくさんさせてくれて、自分自身の意思を尊重する機会を与えてくれました。そんな中で、僕が「野球がやりたい」と自分から意思表示をしたことが、両親も嬉しかったようです。成人式の時に父親とゆっくり話した時、「あの時、初めてお前が自分の意思で物事を決めたんだよな」ってそっと言ってくれたことも印象に残っています。
初めて自分の意思を表現した小学生時代以降、どんなことを軸に進路を選ばれたのですか?
野球を始めようと思った時も今もそうですが、やはり根底に「楽しい」という気持ちがあるかどうかというのは、すごく大きなポイントですね。
その「楽しい」という気持ちをもう少し深堀りして考えてみると、大きく2つの要素があると思っていて。1つは、自分自身のできることが増えていく、上手くなっていくということが目に見えてわかる瞬間が楽しかった。もう1つは、個人の成長だけでなくチームで目標を掲げて達成していくということが楽しかったんですよね。なので、この2つの「楽しい」という気持ちが満たされる環境はどういうところなんだろう、という軸で進路を決めてきたように思います。
大学(※一般受験で同志社大学へ進学)の進路を決める時は、大学は一般的に高校よりも自由度が高くなりますし、僕もそういった学生の自由度を尊重してくれる環境を求めていました。また、高校の先輩で同志社大学の野球部に入られた方から、「同志社大学の野球部は出身高校に関係なく、ちゃんと実力があれば活躍できたり、プロを目指している選手も在籍している」と聞いて、自分自身を高められる環境が整っているなと感じたことが決め手になりましたね。
〝外の世界へのアンテナ〟が可能性を広げる
同志社大学での野球漬けの4年間を経て、いざ就職活動!この時期をふり返っていかがですか?
僕はご縁があって野球部員という形でお誘いいただき、カナフレックスに入社することになったのですが、就活を意識するようになった大学3・4年生の頃は、調子が悪くて、なかなか結果がついてこない時期でした。なので、プロ野球選手を目指していたものの、野球を続けるかどうかということを真剣に考える分岐点に差し掛かっていたんです。
その中で当時、自分自身が考えていた将来の選択肢が3つありました。1つは取得した教員免許を生かして、教師として学生に野球を教えること。2つめは、野球推薦という形で企業に所属しながら野球を続けること。3つめは、野球に区切りをつけて一般企業でビジネスパーソンとして働くことでした。
そんな中、新しく野球部を作るというタイミングでカナフレックスからお声がけをいただいて、一期生として入部できるというところや、プロ野球選手になるという目標に再び真摯に向き合えるところに魅力を感じて、入社を決めました。
アスリートとしてのキャリアを持つ学生として、就活時に意識していたことはありますか?
当時、僕が大事にしていたのは、自分にしかできないことや今だからこそできることを大切にするということです。それが、結果的に野球を続けるという選択に繋がったのですが、その選択の前提として、自分の手で自分自身の可能性を狭めたくないなという気持ちが強かったんですよね。何者でもないからこそ、何者にでもなれるんじゃないかという気持ちを大切にしていました。また、OB訪問を積極的におこなって、その会社についての情報を直接聞く機会を作ったり、周りの友達に志望業界やその理由について教えてもらったりもしていました。
その中で、スポーツ以外のいろんな分野にアンテナを張ることの大切さもすごく感じました。小学生の時から野球というコミュニティの中で生きてきて、漠然と「いつか現役選手を引退して、社会に出ることになる」というのは感じていたので、いつか野球というコミュニティを出て、ビジネスパーソンとして活躍していくタイミングが来た時に、自信を持って「僕はこういう仕事をしています」とか「こういうふうに生きています」と言えるようになりたいなと思っていたんです。
多分、野球の世界に触れたことがない方からすると、野球のコミュニティのことなんてよくわからないと思うんですよね。それと一緒で、僕も野球一筋で頑張ってきたからこそ、外の世界のことがわからないという自覚がありました。なので、まずは外の世界や興味を持ったことに対して、真摯に探究するというアンテナを大切にするということを心掛けていました。
「自分の看板がない」がセカンドキャリアのヒントに
怪我で引退を余儀なくされたことをきっかけに、リクルートへの転職を決意した國正さん。当時を振り返っていかがですか?
怪我で引退することになった時に、自分の看板がなくなってしまった感覚がすごく強かったことを覚えています。今までは「野球をやっている國正です」だったけれど、野球という看板がなくなってしまって、國正光という人間を社会に、そして初めてお会いする方に対してどう表現していいのかわからなくなってしまったんですよね。
就活の時には何者でもないから何者にでもなれると思っていたけど、「社会に出ると変に自信がなくなってしまうんだな」とか、「学生の時ってすごく守られていたんだな」っていうことを強烈に感じた瞬間でした。
それこそ、転職サイトに登録をする時に、前職での経験を書きますよね。でも、その経験は自分自身がビジネスパーソンとして心からやりたいと思っていたことではなかったので、自分が興味をそそられるような会社からオファーが来ない。かといって、自分が本当に行きたいところもよくわかっていなくて、正直、学生時代の就活の頃と解像度が変わっていなかったんです。どうしようかなとすごく悩みました。
そんな時に、リクルートの方に相談に乗ってもらったんです。そうしたら、「今、お前が感じていることを解消することが、今のお前にとって1番モチベーションが高いことなんじゃない?」とアドバイスをいただいて。確かに、僕みたいに野球しかやってくなくて、社会に出てから苦戦してる人ってたくさんいるんだろうな、と…。それこそ、大学卒業と共に野球のキャリアを降りる人もたくさんいる中で、その人たちが100%生き生き働いているかというと、そうではない現実もたくさん見てきていたので、〝何かに熱中していた人たちがそのステージから降りた時に、もう1度輝ける社会を作る〟ということが、自分自身にとっての〝やりたいこと〟なのかもしれないなと思ったんですよね。そんな中で、リクルートの社風や人材領域という部分が自分自身のモチベーションとマッチしているのかもしれないと感じ、転職を決意しました。
▸【後編】はこちらから
取材・文/秋山彩惠 写真/國正光さんご提供
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