特集2022.08.08

バスケットボールワールドカップを沖縄の人みんなで迎えたい! 沖縄バスケットボール情報誌「OUTNUMBER」GM 金谷康平さん 【#わらバス vol.1】

2023年、沖縄で開かれるバスケットボールワールドカップの開催時期に合わせて全国のバスケキッズにコンディショニングを普及する「#わらバス −みんな一緒に、笑ってバスケ!プロジェクト−」。皆さん、はじめまして!posimedsportsの山岡彩加(やまおか・あやか)です。企画構想のスタートは、私たちposimedsportsと、「沖縄のバスケットボールを盛り上げたい!」と奔走する、沖縄バスケットボール情報誌「OUTNUMBER」を運営する金谷康平さんとの出会いでした。本インタビューでは金谷さんのバスケットボールルーツをお伺いしながら、「誰もが【強く・長く・楽しく】バスケを続けられる未来の実現」のヒントを紐解きます。

「#わらバス」キーパーソン:金谷康平さん(沖縄バスケットボール情報誌「OUTNUMBER」GM)

山岡:金谷さん、今日はありがとうございます。まずは自己紹介をお願いします。
金谷:こちらこそよろしくお願いします。沖縄バスケットボール情報誌「OUTNUMBER」を立ち上げ、2023年に開催されるFIBAバスケットボールワールドカップ「OKINAWACITY2023」を沖縄市の組織委員会で盛り上げる活動をしています。また、バスケの場づくり事業として、レンタルバスケットボールコートである「ディーナゲッツ キッズバスケットボールコート」を2店舗運営しています。

【強く】「沖縄の高校2強が、魅力的なバスケットをしていて」

金谷さんは沖縄バスケの魅力を熱く発信されていますが、そのキッカケはなんですか?

「中学の頃に沖縄バスケに出会ったのが全てのキッカケですね。当時の沖縄では北谷(ちゃたん)と北中城(きたながぐすく)という高校、その2強がとても魅力的なバスケットをしていたんです。

高校バスケを【みる】ことが原点。

「全国制覇こそしていないけれど、田臥勇太選手擁する能代工業(現:秋田県立能代科学技術高等学校)に接戦するような学校で。ウィンターカップの会場が家から電車で20分くらいだったから、よく観に行ってたんです」

東京にお住まいで、沖縄を応援しておられたんですね。

「母が那覇市の出身で自分のルーツが沖縄だったこともあるのですが、とにかく魅力的な沖縄のバスケットに引き込まれました」

どんなところがお好きだったんですか?

「ボールハンドリングが独特、個人技が強い。身長があるわけではないのに元気で…ここでどっぷりハマったのが、僕の原点ですね」

【長く】「遊びのバスケットは小学校高学年、上を目指したのは高校生から」

ご自身のバスケプレイヤー歴についても教えてください。

「遊びでは、小学校高学年くらいから。当時はスポーツの習い事といえば野球・サッカーだったので、バスケットは『ちょっとカッコいい遊び』でした」

その後もずっと。

「中学2年の頃にバスケ部が新設されたので入ったんですが、それまでは都内では珍しいアルペンスキー競技をやっていて、バスケと両立していたんですよ。その後は高校と大学でバスケ部に入って、上を目指し始めたのは高校からですね」

【する・みる】バスケを続けておられたんですね。

「大学は教員養成の色が濃い学校だったので、当時は、教員になって部活もみようかと思っていました」

大学では【ささえる】バスケも。

「その頃は、部活をしながら審判の活動もして、バスケットへの関わり方も増えました」

現在のご活動に繋がるエピソードはありますか?

「大学卒業の年、2006年に、日本でバスケットボールの世界選手権(現・FIBAバスケットボールワールドカップ)が開かれました。それがもう…全然、盛り上がらなかった」

いちプレイヤーとして思うところがあられた。

「悲しかったですよね。自分のやっている競技の世界大会が日本で開催されているのに。大会が開催されていること自体、周りの人々に知られていなかったような状況でした」

その頃「琉球ゴールデンキングス」が立ち上がりましたよね?

「そうなんです。私が中学時代から見ていた沖縄の選手たちが関東の大学に進学し、彼らが卒業する頃にbjリーグができました。bjリーグが誕生して3年目にキングスが立ち上がりました」

中学の頃に憧れた高校バスケ選手たちが、そのまま大学バスケとキングスに。

「東京在住の僕からすると、ずっと身近で追っかけ続けられたんです」

東京にいながらにして、沖縄バスケに魅了され続けられた。

「偶然そんなタイミングに居合わせられたことが、今こうやってOUTNUMBERや組織委員会の活動につながっている。メディアを立ち上げるまでは、キングスのファンの1人でしたからね」

2023年のFIBAバスケットボールワールドカップはOKINAWACITY2023組織委員会の一員として迎えられますね。

「2006年よりは状態がいいと思います、大会1年前の今、すでに。まずは協会組織が作られて、Bリーグができた。世界のバスケットボールファンをちゃんと迎えられる体制があります」

当時とは違うんですね。

「プロバスケットの盛り上がりは作れているし、沖縄に関してはキングスが活動を積み重ねてきて、それが強さという結果としても現れている。ただ、そこにプラスアルファで盛り上げられているかどうかというと、課題はいっぱいあると思っています」

というと。

「沖縄の全員が、2023年にワールドカップがあることを知らない。こんなにバスケットが盛んな沖縄といえども、まだまだ周知されていない、県民全員で迎えられる機運ではないですね。」

県民全員!

「贅沢なのかなとも思いますけど、沖縄の人たち皆で大会を迎えられるようにしたいです」

実現に向けて、どんな展開をイメージされていますか?

「キングスの県民関心度が高いので、その盛り上がりを代表戦、つまりワールドカップに繋げられるといいなと思います。僕は2006年を知っているから、あの悲しさをバネに、もっともっと盛り上げたいですね」

posimedsports・山岡さん(写真左)の取材を受ける金谷さん(写真右)(山岡さんご提供)

【楽しく】「バスケットジャーナリズム、これは自分がやれってことか、と」

そこから、沖縄バスケットボール情報誌「OUTNUMBER」の立ち上げへ。

「僕はもともと、サッカージャーナリズムがすごく好きで、サッカーに関する本をよく読んでいたんです。それと比べて、バスケはメディアや書籍がないなと感じていました」

当時、バスケの情報は【誰もがアクセスできる】ものでは無かったんですね。

「バスケットでもサッカーや野球のようにジャーナリズムを作っていきたい…というか、『誰かやってくれ!』という感じでした(笑)」

ファン目線(笑)

「結果、『誰もやらんなぁ、これは自分がやれってことか』、と。いま振り返れば、導かれましたよね」

「沖縄バスケ」に焦点を絞られたのはなぜですか。

「僕自身が沖縄バスケの魅力にどっぷり浸かっていたことを前提に、『地域のバスケの歴史をちゃんとまとめて残したい』という思いが芽生えたんです」

歴史を残す!

「その地域のバスケットのことが分かったら面白いですよね。沖縄も名指導者や輝かしい実績、そういう土壌の上にキングスができている。そういう歴史を残し、まとめて発信していきたいと思ったのも、OUTNUMBERを始めた理由の一つです」

その先に、どんな景色を描いておられるのでしょう?

「『これまでも、これからもずっと、沖縄バスケが全国で輝いていく』、というビジョンですね。『沖縄バスケが強くあってほしい』、と常に願っています」

【続ける】「世代を超えてつながっていくバスケットボールコミュニティ」

「全国で輝くバスケ」の土壌という観点で、沖縄という地域をどんな風に見ておられますか?

「沖縄って、世代間が融合されていて、垣根が取っ払われているんですよ。お父さんがバスケ好きで、その上も、その下もバスケに熱心とか」

代々続く、バスケ好きの輪!

「バスケに限らずですが、親子の関係性だとか、〝世代を超えての繋がり〟が強いんです。親戚行事など、世代をまたいだ交流がそもそも多い。そこで、3世代でバスケットをやっていたりするから、〝熱さ〟が連なっていきます」

【つくる/はぐくむ】風土があるんですね。

「自分が親になって、『子どもの頃、親にここまでしてもらったんだ』と自覚して、また子どもの指導に熱くなる。この循環が、脈々と世代を超えてバスケットボールアイデンティティとして受け継がれるのだと思います」

その文化をもった人々が集まって、地域が作られている。

「だから、沖縄バスケのいち選手に注目すると、その選手のお父さん、コーチ、学校・・・と地域全体に広がっていくんです。こういう面白さを、歴史としてメディアに残したい」

【未来】「日本全国の『ご当地バスケ』熱を、OKINAWACITY2023に集めたい」

コミュニティに注目されているんですね。

「これは沖縄に限った話ではなく、全国それぞれの地域に『ご当地バスケ』のエピソードがありますよね。コミュニティづくりにも繋がる、素晴らしい文化だと思います」

金谷さんはバスケットボールの「場づくり」事業もされていますよね。

「はい。バスケを『やる場所がある』って、崇高なことです」

どのような思いで始められたのでしょうか。

「自分がとりこになった沖縄バスケへの還元を考えた時に、メディア事業だけでは限界や物足りなさを感じたんですよね」

沖縄バスケが全国で輝く基盤づくり、という点ですね。

「そんな時に、ディーナゲッツさんとご縁をいただいて。『これだ!』と思いました」

全国にレンタルコート事業を展開されている事業者「ディーナゲッツ」さん。

「僕らが目指しているのは、子どもたちがバスケが上手くなることや強くなることじゃなく、バスケが楽しめて交流ができる場所をつくること。バスケットボールを通じた地域のコミュニティセンターなんです」

前項の「世代間交流」の話題にも繋がりますね。

「場づくりって、メディアとの相性もすごくいいんですよね。バスケットボールをやる場所があることで、情報が集まる場所になり、そこが発信の拠点にもなるので。相互作用が生まれます」

今日はありがとうございました。最後に、今後の展望をお聞かせください。

「まずは全国各地のバスケ熱を沖縄に集めて、2023年のワールドカップを大いに盛り上げたい。そして、その先の展望として、地域のバスケットボールメディア×コミュニティという考え方を、日本中に広げたいですね」

予感はありますか。

「『ご当地バスケ』のメディアやコミュニティは、これからどんどん出てくると思いますよ。どの地域にもバスケットの歴史があり、語りたい人や、子どもたちの未来を輝かせたい人がいっぱいいますから。世界に目を向けると、アメリカのアリーナ文化がお手本になりますよね。僕もコミュニティの一員として、沖縄バスケに貢献していきたいです」

「#わらバス」ヒント:ご当地バスケ文化を活かしたコミュニティづくり

「誰もが【強く・長く・楽しく】バスケを続けられる未来の実現」―金谷さんのお話から、各地域に脈々と受け継がれる風土やコミュニティ、そして、そこに関わる人たちがキーになりそうです。「みんな一緒に、笑ってバスケ!」をキャッチフレーズに、実現を目指して前進していきましょう!
(企画・取材・文/山岡彩加)

▶「#わらバス−みんな一緒に、笑ってバスケ!プロジェクト−」についてはこちら
https://grows-rtv.jp/project/4594

▶山岡彩加さんについてはこちら【GrowS掲載】
https://grows-rtv.jp/contents/article/2876